国内仕様の公道用
2スト車が消滅
00年代後半に、非常に厳しい排ガス規制の強化があったことは、インジェクション化の項ですでに紹介したが、90年代末から00年にかけても規制の強化があった。そして、原付二種と小型二輪の継続生産車は99年9月、原付一種と軽二輪は00年9月に施行されたこの規制で、姿を消したモノがあった。2ストロークエンジンだ。
軽量コンパクトで高出力が望める2ストエンジンは90年代まで、レーサーレプリカや軽さが命のオフ車に採用されてきた。また構造がシンプルでコストが下げられることもあって、スクーターにも多く使われてきた。しかし2ストエンジンは、潤滑油を一緒に燃やさなければならず、また未燃焼ガスが排気されてしまうため、排ガス浄化が難しかった。
このため、新規制の導入に合わせて、各メーカーは軽二輪クラスの2ストエンジン新規開発を断念。スクーターなどの需要が多い機種は、規制に対応させて00年代に入ってもしばらくの間は新車を販売したが、それでも00年代中ごろには、新車購入できる国内4メーカーの公道用二輪車から、2ストエンジンを搭載する機種はなくなった。
外国車人気がより一層高まった
二輪車の国内販売台数減少に歯止めが掛らない一方で、00年代に勢力を拡大してきたのが外国車ブランド。環境規制強化と市場規模の減少により、魅力的な国内仕様車が減ったことから、外国車を視野に入れるユーザーが増えた。また、それまではショップ規模の代理店が販売していた海外ブランドが、続々と日本法人を設立。サポート体制に安心感が増したことも、ユーザーが外国車に目を向けるきっかけとなったと考えられる。さらに、台湾スクーターブランドなどが日本市場へと新たに参入。こちらは、価格の安さで人気となった。この外国車ブームのけん引役となったのがハーレーダビッドソン。小型二輪車のメーカー別シェアで、国内4メーカーを抑えてトップに君臨し続けた!