草津川跡地公園の投稿検索結果合計:2枚
「草津川跡地公園」の投稿は2枚あります。
草津川跡地公園、第一なぎさ公園、和泉式部の墓、百人一首、AKB48 などのタグがよくつけられています。投稿されたツーリングスポット情報・カスタム事例など草津川跡地公園に関する投稿をチェックして参考にしよう!
草津川跡地公園の投稿写真
草津川跡地公園の投稿一覧
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2022年01月20日
41グー!
若い方はご存知無いかもしれませんが、レコード大賞受賞曲の都はるみの〈北の宿から〉(1975年)は五と七のリズムで形成されています。
「あなた変わりは(7) ないですか(5) 日ごと寒さが(7) つのります(5) 着てはもらえぬ(7) セーターを(5) 寒さこらえて(7) 編んでます(5)」
和歌や俳句も七五調なんですネ
ダウンタウンの浜ちゃんがMCを務めるプレバトでも俳句が人気になっています。
五と七のリズムは日本人の感覚に合ったものなんですネ。
滝廉太郎の 「春のうららの(7) 隅田川(5) 上り下りの(7)船人が(5) 櫂の雫も(7) 花と散る(5) 眺めを何に(7) たとうべき(5)」〈花〉も七五調の代表作です。
文部省唱歌や演歌も良いですけど…
推しはやっぱり高の原出身の元AKBの横山由依さんです♪
#AKB48 二代目総監督の#横山由依 さんが卒業しました…
彼女は2009年にAKB48の研究候補となり、平日は学校とアルバイト、週末は夜行バスで東京へ通いました。
奈良⇔東京は夜行バスでも往復 ¥15,000くらいします。
窮屈な車内で片道8時間くらいかかるので、メチャ辛いです。
アルバイトで貯めたお金で東京までの高速バス代とビジネスホテル代をすべて自分で賄っていて、親に甘えることなく自分の力で通い続けたそうです。
金曜日に高速バスで東京へ行き、日曜日の高速バスで京都へ帰る。
翌日の月曜日から高校に通う…という荒業を努力で乗り切った横山由依さん。
彼女は無茶苦茶努力家なんですネ。
横山由依さんは#木津川市 (実質奈良県)出身のスーパーアイドルです💕
誕生日は1992年12月8日。指原莉乃さんも1992年生まれです。
キャッチコピーは「京都から来ました。金閣寺よりも輝きたい横山由依22歳です」。
しかしながら、彼女は金閣寺には行ったことがないそうです。
京都府出身=金閣寺のコピーは極めて安易です。
彼女の出身地の木津川市(実質奈良県)から金閣寺は遠すぎます。
金閣寺よりも「鹿さんアタック奈良公園」のほうが良いと思います。
鹿アタックとは、バイクや車と鹿が衝突して、鹿🦌さんは無傷でも車両は大破することを言います。知らんけど…😅
横山由依自身も「ほぼ奈良よりの京都から来ました。今日は大仏さんより輝きたい」と挨拶。
彼女の出身地「高の原駅周辺」は一応「京都府」なんですが、道路の向こう側は「奈良県」なんですネ。
そんな彼女も京都の紹介にも力を尽くしてきましたが、洛中の京都人は「木津川出身のお嬢さんが、京都を案内するの。なれへんのに、ご苦労や」(京都新聞)などと皮肉ります。
京言葉には皆さんも注意したほうが良いですヨ(^^♪
「ぶぶ漬け~」の例え話は都市伝説ですが、遠回しにえぐってくるので注意が必要です😅
言いたいことがあるならはっきり言ってほしいけど、それが京都人の美学なのかも知れません。
平等院では源氏物語・宇治十帖の舞台にもなっており表参道の入り口では#紫式部 が迎えてくれます。
古くからの景勝地であり、特に宇治川の川霧は、紫式部の「源氏物語」の「宇治十帖」で語られてから非常に有名になりました。
平安後期の歌には、宇治の川霧をテーマにしたものが数多く見られます。
「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」
訳:夜が明けて宇治川の霧が晴れてきました。重なり合う山々、そして空
奥行きのある美しい世界を描いています。
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」
訳:隠居して宇治山にある別荘で、ゆったり・のんびり過ごしています。
宇治茶で有名な京都・宇治。
この歌が詠まれた平安時代には、貴族の別荘が多く建てられ、リゾート地として有名な場所でした。
近鉄京都線とJR奈良線は共に京都⇔奈良間を結んでいますが、そのルートは大きく異なります。
近鉄京都線は巨椋池の太閤堤の上を通り、JR奈良線は巨椋池を大きく迂回して奈良へ繋がっています。
豊臣秀吉以前の地図に、現在の川筋や道路を重ねるとJR奈良線が迂回している理由が良く分かります。
それでは最後に…紫式部の歌でお別れです。
宇治へお越しの際は、千年の時を超えて愛され続ける源氏物語を体現した宇治市源氏物語ミュージアムにも是非ともお立ち寄りください。
「巡りあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
訳:久々にお友達を見かけたけど…もう姿が見えない。まるで、月が雲に隠れてしまったように…
なごり惜しいけど、またね! バイバイという歌です。
いつも前置きが長くて申し訳ありません。
今回はツーリングマップルのスマホアプリrouteを検証してまいりましたので参考にして下さい。
【今回のルート】
①#和泉式部の墓
②#第一なぎさ公園
③#草津川跡地公園
④#草津宿本陣
⑤#平等院
5秒単位で記録出来るので、#ツーリングマップル 📱アプリ#Route! は精度が非常に高いです。
軌跡の記録間隔は5秒・10秒・30秒・1分で選択可能です。
当然、記録間隔を短くすると精度は上がり、長くすると精度は落ちます
但し、600円/月は高過ぎです。
(書籍を購入するば1年間無料)
残念ながら…
1)訪問場所・訪問時間が表示されない
2)走行距離が表示されない
3)スマホのみ対応でPCへの展開・応用が出来ない
4)編集・加工が出来ない
等のデメリットがあります。
今回は《関東甲信越版》を購入したので、関西エリアではダメなのかもしれません😅
まだまだ、発展途上なのかも知れませんネ😉
P1:Routeの軌跡 (5s)
P2:Googlemapのタイムライン
走行ルートのアプリでオススメは、やはり#googleマップ (無料)のタイムラインです。
Route!と同時使用(5秒)で#Googleナビ を使用した場合、素晴らしい精度が得られます。
Googlemapのタイムラインの位置情報は取得間隔が長すぎて精度が悪いのが欠点ですが、Route!の記録間隔を5秒に設定すると、タイムラインの軌跡も素晴らしい精度で記録することが確認出来ました。
Googlemapのタイムラインは訪問場所の訪問回数や滞在時間、移動手段も記録・編集出来るので大変便利です😁
移動手段は、徒歩でも電車でも車でもバイクでも、自動的に識別し記録してくれます。
皆さんのオススメのルート(軌跡)📱アプリがあれば教えて下さいませ🙏
#百人一首
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2022年01月18日
67グー!
バイク冬眠中でございますが、たまには運転しないとバッテリーとかオイルとかヤバいので「寒さぁ~こらえて♪」(by北の宿から/都はるみ)びわ湖までツーリング。
現在「草津川跡地公園」では菜の花が満開でございます。
草津と言うと、東日本の方は群馬県の名湯「草津」を思い浮かべますが、関西で草津と言えば近江国の草津を指します。
草津川は天井川で有名でした。
「草津川跡地公園」は旧草津川の跡地の再開発です。
草津川の下流部分は典型的な天井川であり度重なる災害をもたらしていましたが、治水事業として中流域から琵琶湖にかけての草津川放水路が開削されたため、天井川を成していた旧河道は廃川となりました。
1枚目:#草津川跡地公園 の菜の花(満開)
2枚目~:#第一なぎさ公園 の菜の花(八分咲き)
木津川流域には現在でも天井川が多く存在します。
天井川の堤防が決壊すると大きな被害をもたらしますで、治水事業が必要になります。
木津川の支流の「不動川」は江戸時代中期には既に「田畑より十間(約18m)高かった」と言われています。
そこで明治政府はオランダ人技師の「ヨハネス・デ・レーケ」招き、特に荒廃のひどかった不動川の砂防工事を行いました。
その時の石積みの堰堤(デ・レーケの堰堤群)が今も残されており、周辺を「不動川砂防歴史公園」として整備しています。
国道24号やJR奈良線・JR片町線や近鉄京都線の線路の上を川が流れているんです。
関東平野では考えられないことです。
木津川市には天井川対策を頑張ってもらいたいです。
木津川市役所の近くに和歌の名手の#和泉式部の墓 があります。
※晩年の詳細は知られていませんが。初代住職を務めた誠心院にも和泉式部の墓所があり「和泉式部大茶会」が開催されています。
和泉式部の愛娘である小式部内侍は若くして親より先に他界します。
「あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
訳:私はまもなく死んでしまうでしょう。せめてあの世へ持っていく思い出に、もう一度だけあなたにお逢いしたいのです。
「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ子はまさるらむ 子はまさりけり」
訳:私の娘(小式部内侍)は母と子供を遺して、どちらのことが、より心残りでしょう…
…きっと子供の方でしょうネ。
現に私は、娘であるあなたを亡くしたことをこんなにも悲しんでいるのだから…という意味です。
神田沙也加さんが旅立ちました😢
アナ雪(Sayaka Kanda, Takako Matsu - 生まれてはじめて (From "Frozen"))の繊細ながら伸びやかな歌声が大好きでした…
神田正輝さんと松田聖子さんの胸中を察すると悲しみで胸が張り裂けそうになります。
謹んでお悔やみ申し上げます。
ちなみに「いずみ姫」は木津川市のゆるキャラです😅
「みかの原 わきて流るる泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」
昔は木津川のことを「いづみ川」と呼んでいました。
みかの原(瓶原)には恭仁宮が在りました。
奈良時代の木津川市は日本の首都だったんです。
#菜の花
#第1なぎさ公園
#天井川
#いづみ姫
#木津川
#百人一首
#比良の暮雪
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