教訓と代償の投稿検索結果合計:54枚
「教訓と代償」の投稿は54枚あります。
事故編、教訓と代償、343海軍航空隊剣部隊戦闘301空新撰組、実はあまり知られていないこと、心霊体験? などのタグがよくつけられています。投稿されたツーリングスポット情報・カスタム事例など教訓と代償に関する投稿をチェックして参考にしよう!
教訓と代償の投稿写真
教訓と代償の投稿一覧
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2020年11月05日
371グー!
皆さんは事故で30日以上入院した場合、交通安全協会より見舞金5万円を受け取ることができることを知っていますか?
見舞金を受け取るには最寄りの地区交通安全協会または県協会事務局に申請をする必要があります。
その際交通安全協会の会員証と見舞金等交付申請書、交通事故証明書、診断書が必要となります。
交通事故証明書は自動車安全運転センターに申請をして手に入れます。
警察へ届けのない事故は証明発行できないのでご注意ください。
⚠️注意事項
見舞金は交通事故発生日より1年以内に申請をする必要があります。
期限を過ぎてしまうと申請が無効とされます!
#事故編 #教訓と代償
#実はあまり知られていないこと -
2020年10月16日
352グー!
自分とぶつかったワンボックスの運転手と同乗していたまだ幼い女の子が実は怪我していたようです..
現在は通院も終えたようです。
事故直後、足が折れたのに気づく前に真っ先に相手に怪我がないか心配したのですが..
当時は大丈夫だと言ってましたが、やはり怪我をしていたようです。
恐れていたことが起きてしまいました。
故意でない事故はどちらも被害者になると思います。
事故はお互いに苦しいものだと改めて実感しました。
怪我の詳細と内容は知らされてません。
通院費は46万8千円で、車の修理費とはまた別です。
足の曲げ具合はついに140度を記録した
この角度はすぐに出せる訳ではなく、事前にウォーミングアップをしなくてはいけない
準備なしでパッと曲げるとせいぜい120度ぐらいなのが現状である
最近は所謂反りができつつあり、歩いてる最中たまに発生するので足が逆くのじになるのでヒヤッとすることも
傷跡はどうやらこのまま残りそうだ
大きな変化といえば階段を上れるようになったことだろう
といっても勢いというか慣性を使って上っており、まだ純粋な筋力で上るのにはフラついたり手すりを使っている
どちらかというと下りの方がダメである
一見普通に見えても右足を着く頃には左足がういてしまっている
つまりしっかり地に足がついてないのだ
爪先立ちの練習もしているが、左足の踵が地面より7cm、右足の踵が11cm
回数としては20回程で疲れてしまう
そして案の定筋肉痛になってしまうのであった😅
#事故編 #教訓と代償 -
2020年10月06日
341グー!
事故発生130日目
こうして文章にしてみるともう4カ月、1年の1/3が過ぎてしまったことに気づいた
久しぶりの診察を受ける
レントゲン写真には相変わらず無数のプレートが映り込んでいた
骨はズレることなく正常位置で固定されている。
ただ前回まだ骨にヒビが入っていたが、今は治っているのかどうかを聞きそびれてしまった💦
今日の診察には保険会社より依頼を受けた調査会社の方も同席しており色々聞かれた
・足の調子
・日常生活で不便なことはないか
・プレートは抜くのか
・半月板の損傷具合
・いつ頃会社に復帰するのか
・今後どのような障害が出るのか
などなど
足の調子は後に記録するとして、プレートはやはり抜かない方がイイかもしれないとのこと。
これは直前にならないと分からないことなのだ。
会社には11月半ばに復帰しようと考えている
障害についてはまだ未知数であるが、少なからずあることは確定している
先生がわざわざ調査会社の方と一緒に診察した理由は「患者なしに個人情報を教えたくないし、患者に聞き辛いことを言わせないため」だった
あまり疑いたくないが、調査会社もそういうものだろうか..
事故の過失割合はまだ出されていない
あまり進んでいないようだ
過失割合は裁判の判例を基に算出されるが、結果が不服だった場合は弁護士の介入する可能性がある
できればそれは避けたい
というのも弁護士の介入により費用が発生し、各資料を集めるために時間がかなりかかるそうだ
..変な言い方であるが、お互いが納得できる方向に持っていきたい
#事故編 #教訓と代償 -
CB750F
2020年09月08日
423グー!
大変お待たせしました。
事故当時の状況をより詳しく整理した記録を作ってみました。
見ずらい、聴いてみたいことがあれば遠慮なく聞いてください。
これを経て皆様の運転技術の向上、安全への気配りができますよう願います。
みなさんにお願いがあります。
もし事故を起こしてしまったとしても直ぐに車を動かさないようにしてください。
直ぐに車から降りて状況と安全の確認をしてからの移動をお願いします。
特に歩行者や自転車、バイクは巻き込まれてしまい状況が悪化、2次被害が発生してしまうのでお気をつけください。
バイクがひっくり返って鍵が曲がってしまい、エンジンを切るのに少し手間取りました。
キルスイッチをすればイイのに、普段使ってないだけに思い付きもしませんでした💦
#事故編 #教訓と代償 -
2020年08月22日
404グー!
事故発生78日目
今日は先週受けたMRIとCTの結果を聞きに病院へ来た
先生が念のためにとレントゲンを再度入れてくれていた
レントゲンを終えて待合室に行く途中も多くの人にチラチラ見られていたが、相変わらず目立つ傷跡のようだ
単純に松葉杖をついているからだろうか
どうされたんですかって聞かれることもあった。
待つこと1時間
電光掲示板に自分の番号が表示された
診察室に入って先生から状況を聞く
骨の状態は順調に回復しているものの、関節は大きなヒビが残っていている
おまけに関節のダメージを見てみるとパラパラと粉砕しており、CGで骨がかなり広範囲に赤や黄色で表示されていた
こうして見る機会は入院中にもなかなかなかく、改めて自分の重症具合を実感した
事故直後のレントゲンでブッ飛んでいた半月板もほぼ正常な位置にある
..あの時は先生が半月板が見つからない!?って驚いてたなぁ
半月板蒸発疑惑とか..
切れたり伸びまくった靭帯も良くなってきているようで、再手術をする必要がなくなった
以上を踏まえた上で先生が出す新たな課題
全加重による歩行練習
遂に松葉杖無しで歩くのだ
早速試してみるとギコチナイが歩けている
ただ、5分も経たないうちに限界を迎えてしまう程度だが
歩くのがこんなに難しいとは..
1カ月後には松葉杖を使用せずとも歩き回れるようにする、小走りや小ジャンプは3カ月後にできるように計画を立てているそうだ
入院中、病院食が嫌すぎて何度も食堂に抜け出そうとしたがかなわなかった
退院してだいぶ経ったがようやく食べることができた
当時は値段が安いと感じ取られたが、今では普通..いや若干高いように思えてビックリした
心情と体調が回復してきたことにより価値観が変化したようだ
贅沢になってしまっただろうか
味良しリードタイム良しでなかなか良かった
午後は別の病院に入院中のおじいちゃんのお見舞いに行った
..危篤状態だった
松葉杖をつきながらゆっくりベッドに近づく
「おじいちゃん、お久しぶりです..」
おじいちゃんが力なく目蓋を開けてこちらを見る
ニコリと笑う姿を見て涙が込み上げた
本当ならもっと早くお見舞いに来るハズだった。
事故当日、おじいちゃんに会いに行こうとしていて事故ったのだ
だいぶ遅くなってしまった
おじいちゃんの顔つきは記憶にある元気な頃のものからは全く想像もつかないほどヤツレていた
今ではほとんど意識もなく、ベッドで1日を寝て過ごしていた
固形物を食べることもできず、点滴に頼っていた。
看護婦さんによると1日100ml程しか尿も出なくなっているという
..自分はただただおじいちゃんの横で立ち尽くしているばかりであった
家族で声をかけ続けているとおじいちゃんは安心したのか寝てしまった
一瞬ヒヤッっとしたがすぐにイビキが聞こえたので少し安心した
車に乗って帰路につく頃、おじいちゃんとの思い出を懐かしみながらこれからについての大きな不安がのし掛かった
#事故編 #教訓と代償 -
2020年08月15日
392グー!
事故発生71日目
本日はMRI検査、X線CT検査を予約している
相変わらずMRIはキツかった
MRIを受けるのは入院してまだ間もない頃以来だろうか
あのときはストレッチャーで移動していたため天井しか見えていなかった
自分の足でMRIの部屋に行くのは初めてで、場所が分からなかった
放射線科に受付を済ます
案内されて検査室に入る際、ポケットの中や金属を纏っていないか金属探知機でチェックする。
ここから先は松葉杖も禁止されているためケンケンで検査台に向かう
検査が始まるとガンガン音が頭に響いている
気絶→起きる→気絶を交互に繰り返しながら時間が来るのをひたすら待っていた
足を動かさずじっとするのも大変なもので、たまに反射的に足が動いてしまう
検査が終わる頃にはクラクラしていた
フラつく足取りで待合ソファーに座ろうとしたところすぐにCTスキャンに呼ばれた
今さらながらこのスキャン機は緊急搬送された当初からの付き合いということを思い出した
足が折れたまま痛みに耐えながらスキャンしたのを覚えている
..ひとつ覚えていないのは、既に固定具が刺さりながら未だ折れたままのレントゲン写真だ
あれはいつ撮ったものだろうか
固定具があるなら折れたまま映るハズないのだが..?
CTスキャンはすぐ終わったので良かった
会計は保険料を返金してもらったためカウンターから機械で支払いができるようになったのは嬉しい
会計後は前から行ってみたいところに寄った
それは病院の敷地内にあり、ひっそりと佇む石碑だ
谷田部海軍航空隊記念碑
かつてこの病院の横には飛行場があったそうだ。
九三式中間訓練機、通称赤とんぼから戦闘機までパイロットを養育していた
零戦を主軸とした帝都防空任務、神風特攻隊として昭和隊が沖縄方面作戦に参加したことで知られている
故に米軍のF6Fヘルキャット率いる部隊と交戦することが度々あり、12.7mmブローニング弾や薬莢、飛行機の破片等が山ほど落ちていたそうだ。
この記念碑は昭和隊を見送った桜の木の下に建てられている
松葉杖をつきながらゆっくり像に歩み寄る
松葉杖を外して姿勢を真っ直ぐにして手を合わせる....
8月15日
今から75年前、日本は戦争していた
多くの尊い命が散っていった
国を、愛する人を守るために戦った方々の安らかな眠りがありますように..
もうすぐ彼らが来るだろう
年一回の集まりを邪魔するわけにはいかない
そもそも343剣隊の服を着ていたら場違いだろう。
..それに絶対声をかけてくるだろう
足がまだ完全ではないし、いつまでも親を待たせる訳にはいかないな
一礼をした後記念碑を背にした
#事故編 #教訓と代償
#343海軍航空隊剣部隊戦闘301空新撰組 -
2020年08月08日
319グー!
事故発生64日目
昨日のリハビリが効いたのだろうか
足を動かすとたまにポキポキっ、バキッ!っと鳴り響くようになった
数日前から鳴るが、その音が明らかに大きくなっていた
痛みは感じないが毎回ヒヤッっとしてしまう
膝も超音波治療が効いたのか痛い代わりにだいぶ柔らかくなったような気がする
膝の方は軽く押したり揉むだけで痛む
足の指先も動きが良くなり、漸く腕立て状態で足先を立てることができるようになった
入院中も母にはかなり助けてもらった
毎日欠かさず来てくれる姿を見てずっと考えていたことがある
退院したら今までの分より親孝行しよう と
先ずは食器洗いと洗濯物を..と思っていたら無理をするな、座っていなさいと怒られてしまった
目に見えて落ち込んでいたのか、その後洗濯物を畳むことは許された
家にいるから余計介護が必要なようで申し訳なく思う..
今は無力..か
#事故編 #教訓と代償 -
2020年08月07日
269グー!
事故発生63日目
昨日の診察を思い出す
レントゲンの結果、骨の様子は順調に回復しているものの、事故直前と比べてみると骨密度が低下していた
これは長い間足に負荷をかけていなかったため骨の強度が低下しているのだ
骨を強くするためにはまずカルシウムを摂取すること、日光に当たること、実際に足に負荷をかけることが重要となる
これまで松葉杖をついてある程度加重を分散していたが、その分負荷も軽減されていた
これらの現状を踏まえて先生の出した次の課題。
それは片松葉であった
すぐに片松葉を試してみるも上手くいくわけもなく、ゾンビのように、もしくはそれ以上か、全く足が進まない
チョコチョコ足が出る程度で、いつ転んでもおかしくないぐらいであった
暫く練習したらある程度は歩けるようになったものの、身体が右寄りに傾いていた
リハビリの先生より新たな課題を渡され、片松葉の歩き方も教えてもらった
足をしっかり伸ばして踵から爪先へしっかり踏み込み、足先で地面を蹴るようにして歩く
これが意識していても意外と難しく、少しでも気が緩むと膝から崩れ落ちてしまう
歩くことがこんなに苦労するものだとは..健康な時では想像もつかなかった..
正しい歩き方を教えてもらったため姿勢がある程度戻ってきた が、やはり右寄りに若干傾いている
片松葉ということは加重1/2から2/3になったということだ
体重が約80kgだから左足へは50kgまでの加圧が許可されたことになる
体重計に乗り、加重練習をする
片足2/3とは今までの中で一番大きい負荷だが、ここまでのものとは..
気持ち的に左足を軸に身体を預けるような形になる
ここまで耐えれると少しホッとすると同時に不安が少し軽減されていった
#事故編 #教訓と代償 -
2020年08月06日
303グー!
事故発生62日目
退院してからは毎日朝までグッスリ眠ることができるようになった
ボロボロの枕がなんとも懐かしく寝心地がイイ
自分の部屋は2階であり、上るのは危ないということで1階の畳の部屋にソファーベッドを設置して寝ている
病院とは違い障害物が多く、水を飲むのにも一苦労してしまう
一番の痛手はまともに歩けないことだろう
朝、車イスが使えないのも不便だが今では慣れたところだ
暑さと相談して窓を開ける、クーラーをつける等で対策してリハビリの環境を整えている
今日は診察があるため1週間ぶりに病院へ行く
入院中のリハビリの先生から外来リハビリの先生へと引き継ぎされていた
この先生には何度か面倒を見てもらっているので少し安心できた
入室前に受け付けに置いてある体温計を取り、アルコール綿でよく拭いた後に使用
終わったら綿で拭き取り台に戻す
次に血圧チェックなのだが、これもセルフで測定する
測定後はデータを渡して待機するという形だ
さっそく大型の電気治療装置で例の如く電気を流して足の筋肉を解していた
うつ伏せになってまた電気を流した後はマッサージをした
これが久しぶりということもありかなり痛かった
それこそ視界が一瞬揺らぐような感じであった。
一通りリハビリを終えて診察に向かう
受付の指示に従ってレントゲンを撮って番号がディスプレイに表示されるのをじっと待ち続けた。
なかなか番号が出てこない
ふとディスプレイを見ると「120分の遅れ」が表示されているのを見かけた
なるほど..先生も大変だなぁ..
いつ休憩したりご飯食べたりするのだろうか
更に待ち続けてスマホの電池が30%になる頃、遂に番号が読み上げられた
「失礼します。お久しぶりです、先生..!」
レントゲンの結果は上々であった
一部を除いて..
予想外の問題が発生したのだ
レントゲンで写ってはいけない白い靄が太もも、固定具を刺していたところに広がっていた。
先生は確かなことはまだ分からないけど、骨が精製された可能性があると言っていた
こんな場所に骨ができるのは意識不明の渋滞、意識がはっきりしない患者が希に引き起こす..らしい
これが骨なのかは分からないが、もしそうだとしたらこの異常な固さも少しは分かる気がするが..
これまた前代未聞なことにならなければイイけど、実際その希のカードを引いてしまいそうで怖い
#事故編 #教訓と代償 -
2020年08月01日
271グー!
事故発生55日目
(53、54日は特にかわりがないため省略する)
2020年7月30日、本日の午前中に退院となる
初心に戻り朝6時に起床した
最終日ということもあり、少しでも万全な体調でいたいと思い寝坊はしたくなかった
ベッドで足を解しながら入院生活の思い出を振り返る
このベッドも部屋も、廊下もリハビリルームも..長らく苦楽を共にした場所だ
今では愛着さえ感じられる
入院当初はこんなとこ早くオサラバしたいと思っていたが、今じゃここを離れたくない気持ちさえあった
車イスに乗るのも今年はこれが最後だろう
初期に乗っていた足を上げて固定するタイプではないが、こいつにもかなり世話になった
入院中の愛車と言っても過言はない
荷物を持っての移動、身体が言うことを聞かないときにはよく乗っていた
家では使うことができないのが残念だ
最後の朝ごはんを手早く食べた後、YouTubeでラジオを聞きながら荷物を整理する
さすがに2カ月の入院だけあって道具や荷物が多かった
それは家族が必要だろう、あれば楽だろうと家からかき集めたものだった
実際かなり助かっていた
折り畳み式の簡易イスなんて特にそうだ
部屋で傷口がバックり裂けてしまった時も先生がイスに座って緊急縫合をしてくれたのだ
それももう昔のように思えてしまう..
退院前の最後のリハビリ
先生がわざわざ部屋に迎えに来てくれたのに少しびっくりした
歩きながら先生と昔話をした
出会ったときの容態や回復していく様子..
リハビリルームでは少しマッサージしただけでトレーニング事態はしなかった
退院した後の自宅でやってほしいことを記した新しい紙をもらった
松葉杖を貸し出しするにあたっての書類にサインをして、退院時に保険として1万円出すようにと
松葉杖を返却する際に返金されるから大丈夫だよって教えてくれた
続いてこれまでの入院記録と治療方法、リハビリと回復の様子を研究学会で発表してもいいかという承諾書にもサインをした
お世話になった看護婦さん、リハビリの先生と握手をして笑顔で
「ありがとうございました。がんばります」
って入院当初からの夢を叶えることができた
主治医の先生にも感謝の気持ちを伝えて握手したところ、先生は優しい顔をして
「僕はこういう仕事だからね。最初の頃は本当にキツかったよね。本当、よくがんばったね」
と言って握った握手は温かく力強かった。
..本当に目頭が熱くなった
俺にかけてくれてありがとうございます
切断レベルの足を繋げてくれたこと、支えてくださったこと、数えきれない程助けてもらいました
先生は俺にとって不可能を可能にするブラックジャック先生ですよ..
また来年に会いましょう
部屋に戻って整理を続けるがあまり進まない
後に母が来てくれてパパッと荷物をまとめてくれた
看護婦さんに最後の別れを告げて思い出深い病院を退院した
不思議な話だ
ここまで長く入院しながら病院の外見を初めて見た
こんな立派な病院だったのか
事故に見舞われたが悪運はあったようだ
この病院の性質上かなりの大病院だとは思っていたが、予想以上だった
ルームメイトで退院したHさんはこの病院は戦争の頃からあったよという話は聞いていた
すぐ横には海軍飛行場があったことも
外にはゼロ戦の石碑が静かに眠っていた
カラッとした日差しの暑さを受けて漸く自分の中の「時間」が動き出した
肌をジリジリと焦がすような熱..あぁ夏なんだな。
車に乗って帰路につくと街並みが少し変わっていた
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月31日
239グー!
事故発生52日目
昨日は度重なる痒みに悩まされた
氷をもらって熱を下げると共に炎症が広がらないようにしてみたが、温度が冷たすぎて長くは当てられなかったため効果はイマイチであった。
また、血流を阻害する可能性も考慮し、看護婦さんに痒み止めクリームを処方してもらえないか相談した
痒み足を動かすと突発的に発生するが、必ずしも痒くなるとは限らなかった
痒みが出たためすぐにクリームを塗ってみたところ、瞬時に痒みが引いて楽になった
いつも足を揉んでいるためか、瘡蓋は知らず知らず剥がれ落ちていた
酷いみみず腫のようになっているが、全体的に順調に回復している
雨や寒さに晒されると傷跡がうずいてしまうのは相変わらずだ
固定具を指していた大腿部は筋肉が異常なまでに硬直しており、束となっており骨ではないかと思ってしまうほど固くなっていた
これが原因で足の曲げ伸ばしに支障をきたしている
最近はこの部位を集中的に超音波治療をしている
予想以上の固さの為出力を最大に設定して10分間当て続けるのが日課となっている
普通は痛くなったり熱くなったりするところ、全くそんなことは感じ取れなかった
これにはリハビリの先生も重症だと苦笑い
治療後は少し柔らかくなっているのが分かる感じであった
..こればかりは超音波治療なしでは治らないだろう
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月30日
233グー!
事故発生51日目
相変わらず足を動かしてりマッサージをすると熱を帯びる
最近はその熱のせいか足が痒くて痒くて堪らない
ダメだと分かりながらもついカリカリとしてしまうのだ
ほぼ無意識に掻いてしまいさらに痒みが広がっていくという悪循環になっていた
もしやガーゼを今まで貼っていたため老廃物がたまっているなだろうか
所々皮膚が脱皮しているように軽く剥けていた
今までもうっすら予想していたが、ガーゼを剥がした後も瘡蓋や痛さからまともに洗えずお湯をかけるのみだった
しかしもうこの痒みに耐えられない
いつか掻いて傷口が開いてしまうかもしれない
足もだいぶ落ち着いてきたし、今日のシャワーではボディーソープを使って洗い流していこう
まだ瘡蓋があるため擦ることはできない
ボディーソープを着けて優しくポンポンと叩き被せるように洗った
すると幾分かは痒みが引いてきたような気がした
髪も長くなりシャンプーで丁寧に洗うと時間がかかってしまうようになっていた
..洗うのが面倒でないのならばこの療養中は髪を伸ばすのもアリだろうか
そうすると事故からの月日の経ち方が目に見えて分かるような気がする
風呂を上がると皮膚が綺麗になっているように見えた
もう数日で退院する
ここに緊急搬送されて2カ月が経とうとしている。
色んな困難があった..
不眠症、骨髄液の漏れ、麻酔の悪影響(起き上がれない、頭痛、吐き気、光への過剰反応)、手足の絶えない痺れ、神経異常、足の切断案、命の危険性、血圧の急激な変動、筋肉の衰弱、過呼吸による呼吸困難、早い心拍数..etc
文字に起こしてみても物凄く苦しめられたことが分かるだろう
細かいところは省略するが、入院中は完全に心も身体をすり減って全く余裕などなかった
常に痛みと恐怖に付きまとわれていたのであった。
ここまで回復できたのも先生の尽力とアイディア、看護婦さんの懸命なサポートのおかげである。
彼らには感謝してもしきれない
何か自分にできることはないか、退院時に感謝の粗品は何がイイか悩んでいるこの頃である
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月29日
241グー!
事故発生50日目
いつもそうなのだが足を動かしていないとすぐに固まってしまい、さらに放っておくと痛くなる。
起きているときはこまめに動かしたりマッサージをしているが、どうしても動かさない時間がやってくる
それは寝ているときだ
痛みでゴロゴロ寝返りしまくる
朝起きると固定具を指していた太ももがパンパンに固くなっており、時間をかけて解さないとまともに立てない
朝ということもあり力が入らず、車イスに頼るのが日常となっていた
今朝は特に酷く、筋肉痛も相まって太もも全体がガチガチ、動けず悶えた
退院後は車イスなんて便利なものは使えない
ここで卒業しなければ
と思いつつ朝晩はちゃっかり頼っている
夜は松葉杖だとうるさいって理由のため致し方無し
顔を洗い部屋に戻る際、診察して回ってる先生方に車イスを使っているのを見られてしまった。
「あれあれ~?車イス使ってるの?君にはもう必要ないでしょ~、没収ね☆」
くぅ~、何てイイニヤケ顔なんだ💦
前から思っていたが先生はSっ気が度々出るな..
正論言われてぐうの音も出ない
また夜に貸してもらおう
今日はもう一つ違うタイプの自転車マシーンに乗ってリハビリをした
前回のは背もたれ付きの姿勢を楽にして走るだったのに対して今回のはthe自転車だ
こちらの方がより足を曲げる際の負担が強く、全くもって漕ぐのに苦労した
おまけにある一定回転数に達しない限りタイマーが起動しない仕組みになっており、デジタコを見ながら回し続けないといけない代物になっていた
つまり、8分漕いでとタイマーをセットされても、回転数が指定以上にならないと1秒も進まず、永遠に漕ぎ続けることになってしまう
初めからタイマーを作動させるのは到底無理であり、先ずは足の動きを慣らすことにした
回し続けること数分、足がスムーズに回転し始めた
慌てずに徐々に回転数を上げていきタイマーを起動させる
ただ黙々と漕いでるだけで汗が出てきて暑い
それでも足の動きを見てはここまで回復した、さっきよりギコチナクないと思うと嬉しくて疲れが飛んでしまう程であった
終了するとブザーと共にモニターに走行距離、発電量、消費カロリーなど多くの情報が表示された
細かいことはあまり分からないので走行距離だけみてみると2kmと表示されていた
あんなに漕いだつもりでたった2kmしか走ってなかったのだ
少し驚きながらもバイクであればあっという間の距離だと思い、今更ながらその性能に頼りすぎていたのかなとも思った
リハビリで疲れた身体をテレビを見ながら癒すことにした
たまたま週間バイクTVをやっていたのである
ここに入院してからバイク雑誌を読んだ程度であったこともあり楽しみにしていたのだ
しかし見ていると、あれ?オープニングなんてあったっけ?
こんな内容だったっけ?
ツーリングしないの?って少し違和感を感じた
結局バイクの紹介とレビューをして終わったのだが、良かったと思う
思うけど..どこか物足りないし何かが違うような..?
夕方親が年代物のトライアンフに乗って面会しに来た。
色んな話をしていくうちに週間バイクTV見たよ、でも家で見てるのと何か違うんだよなって言った
すると父は笑ながら言った
「家で見てるのは大人のバイク時間 MOTORISEで、週間バイクTVじゃないよ。それじゃあいつまでたってもとっきーは出てこないよw」
違うんだ、別にとっきー目当てじゃないぞ😅
でもなるほどそうか、漸く違和感の正体に気づけた
番組が違うのである(失礼)
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月28日
250グー!
事故発生49日目
退院後の通院は毎日来れるなら来てもイイという
ただ、一人では外に出られないため送り迎えが必須となる
現実的に考えると週2、3回であろう
相手の保険ではタクシー通院も可能とのことなのでこれも考えておきたい
足がだいぶ伸びてきた
まだ真っ直ぐではないが、かなり良くなっている
今日初めて自力で踵を上げることに成功した。
電極を太ももに張り付けてリハビリすること数週間、毎日の成果がようやく実ったのだ
高さは僅か1cm程だが、嬉しくて泣きそうになった
力も少しずつ回復し、体力もほんの少し回復した
しかしここで想定外の事態が
左足より右足の方が耐久力が低くすぐに吊りそうになるのだ
左足ばかり気をとられたからだ
これからはある程度右足にも配慮するリハビリが必要となる
曲げ伸ばしがある程度良くなかったので新たな練習方法に移る
それは自転車マシーンに乗ってペダルを漕ぐというシンプルなものであった
しかし実際にやってみると思ったよりキツイ
左足を上まで漕いでいくと膝が痛み硬直してガクガクする
ゆっくり慎重に身体をひねりつつもこれを無理なく漕ぐ
やっていくうちに身体が馴染んできて初めのようなギコチナイ動きはだいぶマシになっていた。
事故る前はこんな動作、朝飯前であったが今ではこんなに辛いと思える
漕ぐには以外と足を伸ばし、曲げる際もかなり足を折り畳むことを今更ながら理解した
今後は曲げ伸ばしの他にもスムーズに動くという課題が追加された
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月27日
234グー!
事故発生48日目
静かな朝を迎えた
また朝食が来るまでグッスリ寝ていたのだ
それもそのハズ、今では部屋に自分1人だけなのだから
..とうとう一人になってしまったか
実は昨晩も奇妙な体験をした
自分一人の部屋でイビキが聞こえるのだ
自分でいうのも何だが耳がイイ
このイビキは自分のベッドの前の方から聞こえており、確かにこの部屋から聞こえるのだ
トイレに寄りながら隣の部屋を確認したが、音源はここではなく、やはり自分の部屋から聞こえる
不思議と怖くはなかった
これが唸り声とかなら怖いがイビキじゃあ..💦
無害な感じだしイビキの音も控えめだったためそのまま寝ることにしたのであった
リハビリでは自分の傷痕を見たリハビリの先生方がよくがんばったね、相変わらず凄い傷だねって言ってた
ガーゼを外したため気のせいか動きが良くなったような気がする
レントゲン撮影で呼ばれた
直前まで昼寝していたため驚いて慌てて跳ね起きた
看護婦さんと共にレントゲン室へ向かう
看護婦さんも過去に色んな怪我をしており、骨折もしていた
退院して苦労したのはやはり段差や障害物だったそうだ
リハビリもかなりキツイ内容で、術後早々に正座の練習を30分もしていたとのこと..😱
先生達との約束通り、退院する日を決めた
7月30日(木)午前中 強制退院
荷物が多くて積み降ろしが大変なこともあり、大事な退院日だからと家族全員が揃えるこの日に決めた
強制退院といっても悪い意味ではなく、ただ単にこの病院が急性患者を対象にしており、入院は最長で2カ月だからである
正確に2カ月ならまだ1週間はあるが、上記の理由と何よりキリがイイからである
退院後は長い通院をすることになった
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月26日
244グー!
事故発生47日目
今日はHさんの退院日だ
今までアイスや肉好きということを聞いて焼き鳥を差し入れてくれた
この退屈な病院生活で趣味が合い、時間を忘れて話をすることもあった
本を何冊か借りては感想を熱く語り合ったものだ
今日のリハビリはHさんとすれ違うような時間帯で入っていた
「Hさん、今日は退院日ですね。リハビリの時間的にお見送りできないかもしれないので、これ、先にお返しします」
借りていた本の1冊だが、読み終わっていなかった
「いや、いいよ。それは俺からの選別だ。あげるよ」
「それは流石に申し訳ないですよ..そうだ、自分がまた自力で歩き回れるようになったら会いに行きますよ!お土産物も持って」
「おぉ、そうか!そいつは楽しみだ。お互い、身体には気を付けような」
Hさんはまだ行かないから安心しなと言った
心配してもしょうがないので早めに行って帰って来るようにした
帰って来るとHさんの表札がなくなっていた
行ってしまったか..
お見送り、できなかったなぁ
自分の部屋に入ると机の上にクッキーが置いてあった
Hさんの置き土産だ
看護婦さんによると10分ぐらい前に部屋を出たさいに残して行ってそうだ
直ぐに部屋を飛び出してロビーへ向かった
頼む、間に合ってくれ..!
想いはむなしくもロビーにHさんの姿はなかった。
貴方からもらったものは計り知れない
自分はいつももらってばかりでした
お見送りできず、申し訳ありません
また2年後に会いに行きます..
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月25日
239グー!
事故発生46日目
今日で足の機械(CPM)を終了すると伝えられた
現在の設定は0~125°であり、これがこの機械の限界だという
後は自分で足の曲げ伸ばしをするように と
初めは全くできなかったCPMも今ではここまでこれたことに感動した
CPMを使わなくなるとすると入院している意味の3割は無くなる
徐々に退院へのカウントダウンが始まっているのを実感した
最近リハビリの内容が少しずつハードになってきた
うつ伏せになり足を上下20回、左右に20回、左に振り切ったところでその場で上下20回
計60回休みなしで振り続けると1セット完了だ。
5セットやる頃には足が重くて持ち上がらなくなっていた
よく考えたら60×5で300回か
どうりでキツイはずだ..💦
少し休むとすぐに次のトレーニングに移る
1分間空気イス、スクワットをするのだ
クールタイムは20秒で、これを7セット行う
すぐに足が子鹿のようにプルプル震え出す
気合いで乗り切るが、あまりの辛さにクールタイムの半分を姿勢を正すだけで消耗してしまう。
終わる頃にはイスに座りこんだ明日のジョーになっていた
くたくたの身体をシャワーで洗い流す
よほど疲れていたのか長風呂してしまった
もう少しで心配した看護婦さんが突入してくるところだった💦
髪を乾かして部屋で休んでいると看護婦さんがきた
左足のガーゼを剥がすという
久しぶりに何も纏わない自分の足を見た
やはりかなり細くなってしまい、傷跡はきれいなものの残っていた
一番気になっていたのはあの10mmの穴だった。
穴は瘡蓋になっており、肉もついて順調に回復しているようだった
ガーゼを剥がして肌が空気に触れたからかなのか、時間が経過する内に痒くなっていった
おしぼりをもらって拭いて落ち着かせた
ガーゼを外したことによりこれまで超音波治療ができなかったところを当てることができるようになった
部屋に帰るとTさんの姿がない
その代わりに母親の姿があった
話によると容態が比較的安定したため退院することになったそうだ
本来昨日退院するハズだったが、一昨日「背中の傷口が少し開いたため」急遽今日までいたそうだ
..あれ?
もしかして俺のせい..?💦
Tさんの退院は予定ではあと数日あるが、件のことにより強制退院となったのだ
母親は荷物をせっせと纏めていた
Tさんは?と訪ねるとたぶんどこかでタバコを吸ってるだろうと
懲りてないな..
しかも面倒事は全て母親任せとは「イイ趣味をしている」
親不孝を見ていると心が痛む
何か手伝えることありませんかと聞くと
「ありがとう、気持ちだけ受けとるね」と
そう言う顔がどこか悲しそうだったのが今でも忘れられない
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月22日
231グー!
事故発生43日目
朝5時頃、ガチャガチャ大きな音で目が覚めた
あれー、おかしいな。クソッってTさんが呟いてる
部屋に備え付けられている暗証番号付の引き出しが開かなくなったようだ
確かに使い方がイマイチで、自分も1回、正確にいえば事故聴取に来ていた警察の方が操作を誤り開かなくなってしまったのも今では遠い昔のように感じられる
使用方法を説明されたハズだが、聞いてなかったのか理解できなかったのか..
チクショウ!とそこそこの声を出して悪態をつきながら相変わらずガチャガチャする
10分程ガチャガチャした後に看護婦さんを呼んでマスターキーで開けてもらっていた
これでまた眠れると思った矢先、20秒も経たないうちにまたガチャガチャし始めた
まさか..
「はぁー?またかよふざけんな!ポンコツ!ポンコツ!」
ガチャガチャ、ドンドン..
おいおい勘弁してくれ
ポンコツは引き出しじゃなくてお前やろ..
部屋でリハビリをしているとTさんがよく散歩に行くのを感じ取っていた
というのも彼はサンダルを履いてパタパタと歩き、よく独り言を言ってたからである
..ここの患者、独り言を言う人多くない?
Tさんはヘルニアの手術を行ったらしいが、術後1日立たない内に出歩いていた
スタスタ歩くその様はとても患者には見えなく、とてつもなく羨ましい
小休憩を兼ねてトイレに行き、食堂から外の風景を眺める
あの事故さえなければ今頃バリバリ仕事して休暇も満喫していただろうに..
早く日常に戻りたいと願わない日はない
外を走る車の運転や自転車の動きを見ているとたまに危なっかしい人を見かける
T字路の先をろくに確認せずスピードをあまり落とさず右折する車
路駐車を避けようと後ろを確認せずに飛び出す通学中の自転車
危ないなぁ
何も起こらなかったのはたまたま運が良かったからだ
危ないもの、何か嫌な予感がする
そういった場所に自然と目を向けていた
勿論事故を起こす前からの癖であるが、最近は特に磨きがかかっているようだ
というか過剰に反応しているのか、どこか不安な気持ちがある
考えすぎてもよくないが、用心したことにこしたことはないと思う
あれから1カ月は経つが今でも痛み、苦しみを感じない時間などない
部屋に戻ってみるとTさんがまだいない
カーテン全開でどこかに行ってるようだ
気にせずリハビリに戻る
あれからかなり時間が立つが帰ってくる様子はない
やっと帰ってきたと思ったらパチンコに行ってきたと言う
えっ、病院から抜け出したのか!?
ヘルニアって手術した後はピンピン動けるのだろうか
景品を部屋に置くとまたふらっとどこかへ行ってしまった
..絶対怒られるぞ..
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月21日
220グー!
事故発生42日目
仲の良いルームメイトの方(Hさん)より借りた本を読みきった
前から読んでみたいと思っていた有名著作で、読み終わって感想や意見交換で盛り上がった
そんな彼はもうすぐ退院してしまう
もっとはやく出会えれば..
そう思っていたところ、退院すれば家が近いから遊びにおいでと声をかけられた
短い期間だったけど支えあって話ができたことが本当に嬉しかった
自分が自力で歩いたりバイクに乗れるには早くても2年の歳月が必要となる
彼の家を訪ねる際にはお土産を持っていこう
昼になる頃、新たに入院してきたルームメイトが部屋に案内されていた
こんにちはって言っても一瞬こちらをチラッと見るだけでまたそっぽを向いた
照れ屋なのかな?と当時は思っていた
年齢はおじさんって感じだった
その人は何故かHさんにはよく絡んでいた
どうやら知り合いのようだ
後にHさんの仲介でお互い自己紹介したのだが、彼に対する違和感が漸く分かった
別に差別する訳ではないのだが、彼(Tさん)は障害者だったのだ
といっても不自由な足を持つ自分も障害者に違いないのだが
問題は次の発言であった
「好きなものは~デュフフッフ、女の子でーす」
男なら女の子が好きって言うのは分かる、がわざわざ口に出すのだろうか
..何か嫌な予感がする..
気を取り直して読書しながらのリハビリに戻る。
立ち練習と読書のコンボは実に効率的だ
所謂立ち読みだ
勿論長くは立っておられず、座って足を解したり踵を上げ下げする運動も行う
あまり実感しないが、少しずつ良くなっているらしい
初期の自分とは見違える程回復していた
今では自らトレーニングを課していることから、先生と看護婦さんはそろそろ退院するのか、いつ頃を予定しているのかを頻繁に聞くようになっていた
..Hさんも退院するって言ってたし、自分もそろそろ退院後のビジョンを考えなくては
食べ物に関しては病院食と比べて絶対に塩気などの味付けの差に驚くと思う
ゆっくり慣らす必用がある
と考えながら既に頭は脂っこいものを想像して止まない
退院後一発目が油そばはヤバいだろうか🤣
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月20日
219グー!
事故発生40、41日目
先生が毎日のように調子はどうだい?
もう退院できるでしょ 笑ながら訪ねてくる。
ここの病院は最長で2カ月しか居られないそうだ。
とすると残りは約2週間か..
病室がパンパンになってきたら邪魔にならないよう退院、もとい追い出される予定だったのだが、どうやらその気配はないようだ
看護婦さんに聞いても病室は埋まってなく、むしろ退院していく人の方が多いようだ
確かに最近廊下でおばちゃん会議が開かれていないわけだ
病室に余裕があり、まだやるべきことがあるのであれば最後まで粘っていたい
せめて階段等の段差を越える練習をしなければならない
リハビリの先生ももう少し残っては欲しいと言っていたので、これを利用しない手はない
そう思いながらリハビリに取り組んでいた
リハビリルームで常に存在感のある日焼けした熱血漢がいた
声は適度に大きくハキハキしゃべって大変聞き取りやすい
高齢者の耳にも一発で通っている
笑顔絶やさないそんな彼をいつしかここのリーダーだと認識していた
「おはよう、調子はどうだい?今日も頑張っていこう!」 と
そして唐突に切り出してきた
「階段、練習してみよう!大丈夫、案外こんなもんかってなるよ☆」
まるで考えがお見通しのようだった
始めての階段練習
いきなり練習階段でやるのはキツイと伝えたところ、大きな台を持ってきた
これなら段差が1段しかなく、落ち着いて練習できる
松葉杖で段差を上がる際は、怪我してない方の足を先に上げてからもう片方の足を手繰り寄せて松葉杖と同時に着地させる。
右足→左足+松葉杖→右足の繰り返しだ
当然一段一段上がってゆくことが重要で、間違っても「普通の上がり方」は全加重になるのでやってはならない
逆に下りる際は左足と松葉杖を先に、そして右足を という感じだ
思ったより随分簡単そうだが、意識しないとまだあやふやだ
練習階段で連続して身体に慣れさせる
少し自信がついたが、家の階段はこれより狭く、曲がり角がある
油断してバランスを崩したり、足を滑らしたら..😱
..こうしてみても不安はやはり拭いきれない
最近のクセとしてリハビリ後は部屋で小休憩をはさみながらプロテインを飲むようにしている。
運動後にたんぱく質を取ると筋肉が効果的に成長しやすくなるとか
それまでプロテインって聞くと錠剤だったり、飲料タイプは不味いってイメージがあった。
しかし、このプロテインはココア味で美味しく飲めるので安心!
今じゃ重宝している
今晩の晩御飯は楽しみだ
病院食がダメで食堂もダメなら残された道はただひとつ
今一度親にカツ丼弁当を差し入れしてもらうのだ!
当然、これから毎日ではない
たまにのご褒美として、栄養を補給するため支援してもらうのだ
予め用意された病院食はある程度親が持ち帰る作戦となる
弁当箱に魚を詰め込む
これだけでかなり助かる
カツ丼弁当が到着した瞬間苦労が報われたような感じになった
やはり身体を治すなら肉だ!
カツ丼と唐揚げ、キャベツに焼きそばをぎっしりと詰め込んだまさに夢のようなボリュームであった
病院食でも肉が出ればこんな回りくどいことはしなくてよいものを
一口一口味わってありがたく完食した
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月19日
223グー!
事故発生38、39日目
リハビリの先生より自主練でやってほしいことを記載した紙をもらった
全12項目、イラストとやり方、ポイントが書かれていて見やすかった
今まで教えてもらってた事項もあれば、そうでなく初めてのものもあった
ひとりで自主練するとどうしても内容が片寄ったり漠然としてしまっていたので物凄く助かる。
部屋に帰ったら早速試そうと思う
部屋に帰るとシャワーに呼ばれた
そういえばリハビリの後にシャワーの予約をとったんだっけ
今日からのシャワーはこれまでの浴室よりも1まわり小さく、基本的に補助を必要としない人が入る場所だ
壁が近く、手すりを掴みやすいので個人的にはこっちの方が良さそうだ
シャワーの後は散歩を兼ねて1階に行くことにした
実は看護師さんより1階に美味しい食堂があると聞いていてもたってもいられなくなったのである。
エレベーターを降りてレントゲン室の横を通る。
物凄く広いロビーと総合受付に驚きながら、その横に食堂への入り口を見つけた
食堂のサンプルメニューを見ると、そこには自分の待ち望んでいた食べ物がズラリと陳列しているではないか!
カツ丼、ラーメンチャーハンセット、ハンバーグステーキ、パフェ..etc
やったー!(*≧∀≦)
ついに俺は病院食とおさらばできるぞ~
値段も安いしこれを食べない理由がない
ルンルン気分で営業時間を見たら顔がひきつった
営業時間、10時~17時
えっ、じゃあ昼しか食べれないの!?
傾向的に昼飯はまぁそんなに悪くない
問題は朝と夜なんだ..
しかしこの絶好の機会を逃したくない
逆に考えるんだ..昼は確実に食べに行けると
献立表を見てタイミングと計画を練る
なんだかプリズンブレイクみたいでワクワクする
余程顔に出ていたのか看護師さんに何かイイことあったのかと聞かれた
今度食堂に行くんです!
だからその時は病院食を中断願いますと言ったところ衝撃的な事を言った
「ごめんね。今は時期的に感染対策として患者さんには食べに行ってたほしくないんだ..」
ワクワク心は打ち砕かれた
おのれ..おのれぇぇぇ!!😭
その後気がつくと晩御飯の病院食を無心で食べていた
..今夜の食事は悪くない
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月16日
204グー!
事故発生35日目
機械で足を曲げていく
85で始まり徐々に角度を上げていく
看護婦さんが角度を調整する
足が丁度イイ負荷がかかるところで練習した。
過去最高の105度
ついに100を超えた
終えたらすぐにリハビリルームへ急いだ
午前のリハビリではストレッチ、曲げ伸ばしをメインに
午後のリハビリでは松葉杖の練習を主軸に行った
リハビリルームを何周かする
鏡を利用して姿勢や歩き方を客観的に見て修正を重ねる
そしてついに松葉杖の1人立ちも解禁された
その反面、それは車イスからの卒業を意味していた
今思うとかなり便利なものであったことに気づく
部屋に戻り小休憩
リハビリを繰り返した
16時20分頃
しまった..またオーバーワークだ..😱
今回のは昨日よりも酷い
限界というのは本当に前触れもなく訪れるんだとその時悟った
足に力が入らない
足が重く、痙攣している
部屋に帰らなければ..
松葉杖が仇となり、車イスのように楽に移動できない
左足を引きずるように歩く
ふらつき何度も倒れそうになった
部屋までの距離はそんなに遠くない
必死に踏ん張り時間をかけてやっとのことで帰ることができた
ベッドに着くなり崩れ落ちた
最後の力を振り絞り這い上がる
頭が痛い
目も疲れて吐き気も少し感じられた
寒気がする
布団にくるまる
寝る他回復する手段はない
後のことはまた考えよう
唸りながら眠りについた
母が来て心配していた
まだ回復していない
夕食が運ばれてくるが食欲など全く無かった。
母の差し入れしてくれた唐揚げとチキンスティックを優先して食べた
今はとにかく力の出るものが必要だ
案の定病院食をかなり残してしまった
先生たちの診察が来たが、応対する気力も力もなかった
かろうじて顔を向けるぐらいだった
先生も看護婦さんも心配していたが、大丈夫です、疲れてるだけです と答えた
間違いではないだろう
あれから時間が経過したが痙攣は落ち着かない。
ズキッズキッと脈打つ度痛みが伴う
今日はもうトレーニングは無しだ
早めに休むとしよう
痛み止めと睡眠薬を21時に来るようお願いした。
21時に薬を飲む
効果がでるまで少しかかる
部屋で寝る準備と明日の準備をする
ゆっくりしているとイイ時間になり、足の疲れも少し引いてきた
夜なので車イスに乗ってトイレに行く
一人で動けるようになったので尿瓶はもう使わなくなっていた
薄暗い廊下をゆっくり進んでいると突然車イスのスピードが上がった
誰かに押されているような速さだ
慌ててブレーキをかけて後ろを振り返ってみた。
..誰もいない
靴音も気配も何も感じなかった
おかしいな、もう半分寝ぼけているのか
そう思いながらトイレを済ませた
帰り道、何か聞こえる
部屋の前に進むとだんだん声が大きくなっていた
ふと気づいた
あれ?部屋の横にある施錠されている大きな扉が開いている。
長い廊下が続いているが明かりはひとつもない。
先がぼんやりと見えるだけだった
自分たちの部屋がこの棟の突き当たりで、開いているところはめったに見ない
聞こえてきた声はどこか人の呻き声と牛の鳴き声を混ぜたような不気味なものだった
..馬鹿な、映画じゃあるまいしありえない..。
だがここでひとつのことを思い出した
ここは病院で今は夜
夜中の病院だ
一瞬で鳥肌が立ち、部屋に飛び込んだ
布団を被り寝ようとするも辺りが気になる
..この夜はラップ音のようなのが続いた
何かが床を擦れるような音
カーテン越しに何かが行ったり来たりしているシルエットが「下半身だけ」写っていた
明らかに彷徨いている..
逆にルームメイトのイビキや他の患者の出す音、さらには病院設備の音も聞こえない
普段巡回するはずの看護婦さんの靴音も聞こえなかった
緊張しながらスマホを握っているといつの間にか眠りについた
睡眠薬のおかげで助かった..
あれは..何だったんだろうか..
#事故編 #教訓と代償 #心霊体験? -
2020年07月15日
205グー!
事故発生34日目
今日はまだ夜が明ける前から風が強い
台風じゃないのかと思うぐらい窓を強く叩いている
今朝のニュースでは長野も大雨による被害を受けている中継を見た
長野には親戚もいるし不安だ..
機械で足を曲げる時間がきた
毎日少しずつ角度を上げている
今日は5~80度から始まり、最高95度を記録した。
やっと90度を越えたようだ
だが、機械の90と人力による90はどこか違うような気がする..
リハビリを始める前に左足の太ももにAEDのような機械を巻き付けた
どうやら硬くなった場所を解すためらしい。
スイッチをオンにすると電流が流れる
眩い閃光を放ちながらどんどんビリビリしてきた
足が暖かくなり、ちょっとした足風呂のような感覚になった
10分後、装置を取り外すと足が少し軽くなったような気がした
装置を置いていた所は血流が良くなって痒くなっていた
その後は足の曲げ伸ばし、マッサージに力を入れた
リハビリを終えて部屋に戻ろうとするとレントゲン室へと呼ばれた
自力で車イスで行動するのは初めてだ
ワクワクする一方少し不安だ
1階のフロアまで降りるとコンビニがあった。
患者の為なのか本の品揃えが豊富で店の外まで飛び出している
BikeJINも置いてあった
受付に診察札を渡してレントゲン室へ案内される
以前撮った際はまだ固定具を着けており、いろんな体勢で撮ったため腰が痛かった
どうやら入院中、腰周りの肉がなくなってしまい、骨で身体を支えているようだった
少し身構えていたが、数枚レントゲンを撮ってあっさり終了した
午後のリハビリではいつもの内容と松葉杖の練習を行った
足が疲れてギコチナク歩く
昨日の反省点を活かして姿勢や歩き方に注意した
背筋を伸ばして堂々と、平行棒のように左足をサポートする動きをする
歩く際は踵を着いてなるべく浮かさない、踵をから接地する
意識し過ぎないようにリラックスしてみると程よい感じで歩けた
まだ姿勢が捻れていたりしていたが次第点だ。
立つ際は左足に1/2加重が許されている
具体的な数字と感覚が分からないため体重を計ることにした
75kg
..かなり痩せたと思っていたが、これだけか。
入院生活でもっと体重が減ったかと思っていた。
15~20kgしか減っていない
つまり、1/2加重とは35kgを目安にした方が良さそうだ
しかし、実際に体重計に左足を乗せて加重調整したところ25kgを表示していた
力を入れてみるものの、一瞬30kgを表示するだけで左足が震えた
朝の嵐が嘘だったかのように晴れる
この時を待っていた
すぐに練習道具を車イスに詰め込んで窓際へと急ぐ
暖かな光に包まれながらリハビリするのはやはり気持ちがイイ
おまけに効率的である
時間を忘れて夕食までそこにいた
夕食
部屋に戻ると左足が重くなって力が入らない。
..やってしまった..オーバーワークだ..
晩飯中にある程度回復してくれればイイが..
その夜は足が痛くてあまり眠れなかった
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月14日
205グー!
事故発生33日目
普段テレビを朝からは見ないが、その日は何と無く点けた
ニュースを見るのはちょっと久しぶりだ
チャンネルを切り替えた瞬間絶句した
九州が大雨で洪水が起きている..
この梅雨の雨がもたらした自然大災害であった。
朝ごはんが運ばれてきても気づかない程ニュースに集中していた
過去にも九州が大雨で洪水や土砂災害に合ったことを覚えている
今回も、いや、前回以上に被害をもたらしているように見えた
この雨は長く続き、そのまま日本を横断するかのように各地に被害を出すと聞いた
..自分はまた何もできないんだ
被災者の方々に比べれば自分はまだ楽な方かもしれない
彼らも必死に頑張っているんだ
俺もがんばらなきゃ..!
自然と拳に力が入り、朝食のバナナを握りつぶしてしまった
被災者の方々には心よりお悔やみ申し上げます
少しでも早く復興できるよう願っています
シャワーに入る
慣れたもんで、既に自力で身体全体を洗えるようになった
相変わらず時間はかかるものの、看護婦さんが近くにいるよりは落ち着いてできる
つい先日、浴衣よりパジャマに変更した
そして本日より完全に私服へとシフトチェンジした
半袖は冷房が苦手な自分には堪えるものの、親に長袖を頼んでも見てて暑いからという理由で却下された
代わりに半袖の上着が数着届いた
違うんだよ..💦
そういうことじゃないんだよ..😣
今では布団から出られなくなってしまった
無論、リハビリするときは渋々抜け出す
まるで冬場のコタツだ
今日のTシャツはヤマハRZ250
お気に入りの1つだ
2stのパワーバンドが如くリハビリに励もう
リハビリルームでいつものマッサージを終えたら新たなストレッチに移った
うつ伏せで足を真っ直ぐにして20回上下させる
足を真っ直ぐに20回横に振る
この2つの動作をそれぞれ3セット行う
終わる頃には足はガクガク震え、腰などあちこちが筋肉痛になりそうだった
普段は冷房が効いてて寒い院内だが、今は汗が物凄い
初めて松葉杖の練習をする
松葉杖は使用者の体格に合わせて高さを細かく調整できる
サイズも豊富のようである
最初に持ってこられたのは自分にとっては小さかった
これがよく使われているサイズだったようだ
自分にはこれより大きい最大クラスの方がしっくりときた
脇の下で支え、背筋を伸ばす、視線は真っ直ぐ前へ
左足と連動するように松葉杖を操るのだが、思っていたより難しかった
千鳥足になってコケそうになる
右足で踏ん張り、リハビリの先生も支えてくれて何とか体勢を調える
意識し過ぎなのか平行棒とはまた違ったギコチナサを見せる
腰が引けて重心が後ろになっていた
漸く足を交互に動かせるようになったのはリハビリ終了直前だった
部屋に戻ると先生が待っていた
「調子はどうだい?この前の手術で今回の入院生活での治療は終了だ。君にはそろそろ退院を考えてもらわなくてはいけない」
と言った
慌ててまだ足が思うように動かないこと、漸く松葉杖になったことを伝えた
すると先生は
「本来ならあの固定具を着けたままでも退院できるんだ。今回は偶然と偶然が重なってそうしなかっただけなんだ。無論、君が嫌がったからそのまま入院させ続けたんだけどね」 と
その偶然とは巷で嫌われている「コロナ」だった。
コロナの影響で人々の外出が減り、交通事故が減った。
老人が感染対策で病院に訪れなくなった。
6月の初めは時期的にも入院患者は少ない。
結果、ベッドに余裕がありここまでこれた。
もしコロナがなければ自分は早々に老人達にベッドを譲り渡さなければならなかった..
まさか..コロナに助けられるとは夢にも思わなかった。
入院中、一日に何台も救急車が出入りしていた。
その分患者が増え初めて病室がいっぱいになり始めているとのこと
いずれにせよ、松葉杖で退院するだろうとは思っていたものの、想像よりも早く退院のビジョンを聞かれた
まぁ、考えるだけかもしれないが..
その夜は退院したらの様子を思い浮かべながら眠りについた
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月13日
210グー!
事故発生31日目
今日のリハビリはストレッチとマッサージを主にした
リハビリルームのマットにうつ伏せになる
本来足がベタっと密着するような姿勢のはずであったが、やはり左足の膝下が上に向いて反っていた
カチカチになった場所を念入りにマッサージして柔らかくする
うつ伏せになると筋肉の伸び縮みがしやすくなるため有効的だという
普段からも太ももやふくらはぎをマッサージしているが、うつ伏せでやる方が遥かに効く
軽く手で撫でられるだけで痛くてしょうがない。
解した後は少しずつ力を入れて足を下げてもらう
力を抜いて下ろそうにも力が入ったり抜けたりで安定しない
突然スネにマットの感触が伝わる
足が久しく0度になったのだ
嬉しいが痙攣してピクピクして結構辛い
少し休んでから車イスに乗った
部屋に帰ってからもマッサージを念入りにする。
腫れや筋肉の伸び縮みをよくすれば足は自然と曲がるっていう訳ではないが、少しでも回復を促進させたい
ゴムも病院内で最強の強度を誇るものを発注、受け取った
以前使っていたゴムも強力であったが、それよりも一段と硬い
足先にひっかけてみると違いがすぐに分かった。
事故発生32日目
リハビリに備えて短パンに履き替えた
この方が足の状態のチェックがしやすく、傷口も分かる
マッサージの後は硬くなった膝の皿の動かしかたを教えてもらった
皮膚だけを伸ばすのではなく、しっかりと皿を動かして可動域を増やす
片方を指で押し、また反対の指で押す
シーソーをイメージした動きだ
縦の動きはまぁまぁなのだが、横の動きに対しては硬いままだ
今後は横の動きにも対応しなければねらない。
膝下の運動を行う
ベッドに横たわり膝の下に物を挟み込む
膝から先に力を入れて足を持ち上げようとするも、少し上がるだけでそれ以上は自力ではダメだった。
電極を太ももに貼って電流を流して筋肉の動きを強制促進させる。
電流が流れた瞬間、足が持ち上がる
先ほどの上がり具合の低さが嘘のようだ
ただし、足を真っ直ぐ伸ばすことはできなかった
電流が流れる
太ももの筋肉を意識して爪先を上に向ける
膝下の上げ下ろしの動きがスムーズになった。
7分後、電極を外して次に移る
うつ伏せになり足の角度を調整する
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月12日
202グー!
事故発生30日目
久しぶりの寝返りで朝までそこそこ眠れた
確かに夜中数回起こされたが、睡眠の質が違った
朝起きるともう眠気を引きずることはなかった。
ただし、看護婦さんに起こされた際には寝相がかなり悪くなっており、右足をテーブルの上にドカンと乗せ、布団が巻き上がって上半身がはだけて寝ていた
枷が外れた反動だろうか
先生達が来て傷口を確認する
ガーゼを剥がしてピンの刺さっている所を診る。
見事にぽっかりと風穴が開いており、奥には骨が見えていた
これまたグロイ..
痛みは特に触らなければ痛くはない
肉の方の回復期間は聞いていないが、骨の空洞が埋まるには数ヶ月必要だという
当然骨密度が低くなっており、肉抜き形状からして再骨折の恐れは当然ある
一難去ってまた一難だ
今度骨折したら..最悪足が6つにバラバラになる😱
ピンを抜いて初めてのリハビリ
以前の膝曲げ最高記録は60度
今日はどうなるのか
足はまだ自力ではあまり曲がらない
しかし、リハビリの先生に手助けしてもらうとあっという間に60度を通り越した
痛みは特にないがやはり腫れや突っ張りがあるため少しずつ身体が強張る
80度に到着
すぐに90度に行きたかったが焦りは禁物
曲げたのなら次は伸ばす練習だ
膝をグーっと伸ばす
ゴムを使って水平になったと思ったが、角度は10度のままであった..
続いて歩行訓練
まだ体重を量っていないが、先生からは1/2加重、つまり普通に立つことを許されている。
注意点としては、歩く際の加重は片足が地面から離れた瞬間に全体重となるため腕で力を分散しなければならない
ピンを抜いたため起立の体勢がとりやすくなった
ギコチなさはあるが大分マシになったと思う
部屋に戻ると睡魔に襲われた
やっぱり夜中に起こされるとよくないらしい。
20分程寝てしまった
昼飯が到着して起こされたが、食欲があまりない
もう病院食には本格的にうんざりしてきたのだ。
初めの頃はそれこそ体調不良が続き、少ししか食べなかった
今では栄養をより効率的に得るため大盛りにしている
が、味の無いものや栄養の無いものをこれでもかと出されているのが現状だ
現に出された食事に山盛りの豆腐がある
白豆腐に白飯はキツ過ぎる..
高血圧予防なのか知らないがこれではあまりにも辛い
痛みや苦痛から解放された瞬間に文句を垂れてしまうのは嫌だが、今では食事が一番辛いときている
たまには味の濃いものが食べたい..
カップ麺が恋しい..
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月12日
167グー!
事故発生30日目
久しぶりの寝返りで朝までそこそこ眠れた
確かに夜中数回起こされたが、睡眠の質が違った
朝起きるともう眠気を引きずることはなかった。
ただし、看護婦さんに起こされた際には寝相がかなり悪くなっており、右足をテーブルの上にドカンと乗せ、布団が巻き上がって上半身がはだけて寝ていた
枷が外れた反動だろうか
先生達が来て傷口を確認する
ガーゼを剥がしてピンの刺さっている所を診る。
見事にぽっかりと風穴が開いており、奥には骨が見えていた
これまたグロイ..
痛みは特に触らなければ痛くはない
肉の方の回復期間は聞いていないが、骨の空洞が埋まるには数ヶ月必要だという
当然骨密度が低くなっており、肉抜き形状からして再骨折の恐れは当然ある
一難去ってまた一難だ
今度骨折したら..最悪足が6つにバラバラになる😱
ピンを抜いて初めてのリハビリ
以前の膝曲げ最高記録は60度
今日はどうなるのか
足はまだ自力ではあまり曲がらない
しかし、リハビリの先生に手助けしてもらうとあっという間に60度を通り越した
痛みは特にないがやはり腫れや突っ張りがあるため少しずつ身体が強張る
80度に到着
すぐに90度に行きたかったが焦りは禁物
曲げたのなら次は伸ばす練習だ
膝をグーっと伸ばす
ゴムを使って水平になったと思ったが、角度は10度のままであった..
続いて歩行訓練
まだ体重を量っていないが、先生からは1/2加重、つまり普通に立つことを許されている。
注意点としては、歩く際の加重は片足が地面から離れた瞬間に全体重となるため腕で力を分散しなければならない
ピンを抜いたため起立の体勢がとりやすくなった
ギコチなさはあるが大分マシになったと思う
部屋に戻ると睡魔に襲われた
やっぱり夜中に起こされるとよくないらしい。
20分程寝てしまった
昼飯が到着して起こされたが、食欲があまりない
もう病院食には本格的にうんざりしてきたのだ。
初めの頃はそれこそ体調不良が続き、少ししか食べなかった
今では栄養をより効率的に得るため大盛りにしている
が、味の無いものや栄養の無いものをこれでもかと出されているのが現状だ
現に出された食事に山盛りの豆腐がある
白豆腐に白飯はキツ過ぎる..
高血圧予防なのか知らないがこれではあまりにも辛い
痛みや苦痛から解放された瞬間に文句を垂れてしまうのは嫌だが、今では食事が一番辛いときている
たまには味の濃いものが食べたい..
カップ麺が恋しい..
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月11日
195グー!
事故発生29日目
4回目の手術を迎えた
注意事項をしっかり守って備える
少し緊張していたのでお気に入りの音楽を聴いた
aviciiの「Wake Me Up」「The Nights」をはじめとし、グランツーリスモ「Moon Over the Castle」「All My Life」、アイシールド21「Be Survivar」など多くの歌や曲を聴いた
やはり音楽はイイ
手術への不安が晴れていく
リハビリ中もよく音楽を聴いてやる気を向上させている
9時30分、手術室に入る
先生はもう1カ月経つなぁって懐かしんでいた。
「覚えてるかい?君が運ばれてきたのも今日と同じ金曜日の同じぐらいの時間だった。天気も晴れだった。そして僕が緊急外来担当。今日もそうだ。..じゃあ始めようか」
麻酔の点滴が入った瞬間眠りについた
手術が終わり起こされた
まだ瞼が重くボーっとする
気を抜いたらまた寝そうだ
看護師さんは楽にして、寝てもいいからと声をかけてくれた
数分後、意識がはっきりとしてきた
身体の状況をチェックする
酸素管を入れていたが、時間が短かったため喉を痛めていない
喉もあまり乾いていない
尿管も刺されていない..!
左足は相変わらず痺れているものの動きに問題なし
その他手足に異常はない
まさに理想的な形で手術は成功した
足に刺さっていたピンを記念に持って帰るか?と聞かれた
答えは無論イエスだ
部屋に帰ると3時間はベッドで横になって安静することを告げられる
体温計を計る
37.0度
血圧127、脈拍67で安定している
ほどなくして両親が待合室より看護婦さんに呼ばれてやってきた
今回は術後でも痛々しい姿ではなく、元気な様子を見せることができたので良かった
安心した両親は3時間後にお腹が空くだろうと軽食を差し入れてくれた
大好物のパンケーキだ!
それにプリンが2つ
これは解放された後が楽しみだ😁
今晩は久しぶりにちゃんとした寝返りがうてる。
多少まだ腫れがあるがそこまで気にしなくても眠れそうだ
床擦れの心配ももう大丈夫だ
ピンを抜いたことで力が素直に入る
久しぶりに自力で動いている
筋力が低下しているが、思ったより悪くなさそうだ
日々のリハビリが筋肉を維持してくれたようだ。
今まで苦労して動かしていたのが嘘のようだ。
まだ足は重く、不確定要素があるがまた一歩前進だ
今夜の金曜ロードショーは「レディープレイヤー1」
これまた好きな作品である
一通り楽しんだらすぐにねむりについた
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月10日
218グー!
事故発生28日目
麻酔科の先生より手術の注意事項を説明された。
今回の創外固定ピン除去手術は全体麻酔をかける
局地麻酔では完全に麻酔することは困難であり、激痛が予想されるためである
手術予定時間は1時間30分
例によって酸素管を口の中に入れて入れるとのこと
尿管は入れるか入れないか微妙なラインだそうだ
できれば入れて欲しくない
あの痛みは..独特で長引く
手術前、午前0時より食べ物禁止、7時以降水も飲んではいけない
手術は9時30分に行われるため、9時には着替えやトイレ、歯磨きを済まさなければいけない。
術後3時間は飲み食い禁止
..また喉がカラカラになる辛さを味わう
梅雨の貴重な晴れは見逃せない
すぐに食堂待合室の窓際に車イスで移動する。
長時間日光浴して骨を強くしようという考えだ。
ただボーっしているだけではもったいない
携行品としてゴムバンド、ダンベル、水、スマホを持っていく
普通の患者は部屋でくつろいだりしてあまり出回らない
その中で日を浴びながらひたすらゴム練習やダンベルを振る光景はちょっとシュールであった。
他の患者さんのご家族が異様なものを見る目でチラチラ見ている
そんなもの気にしていられないとさらに自主練に励むのであった
がんばり過ぎたか..
頭が痛い
疲れている
座っているトレーニング中だが、目を閉じてそのままベッドに寄りかかる
一瞬で夢に引きずり込まれたが、意識は若干残っている
そのまま長い間寝ているわけにもいかなかった
リハビリ..しなくては..
#事故編 #教訓と代償 -
2020年07月09日
209グー!
事故発生27日目
今日の朝ご飯は一段と酷かった
蓋を開けてみると異臭がするのだ
これ、食べれるの?って感じだが悪くなっているようではなかった
口に入れてみると一気に食欲が失せた
味はお世辞にも普通とは言えず、味が薄い割には舌に残り続ける異様さ
見た目もかなり悪く、グチャっての通り越して吐瀉物に見える程だった
周りのお年寄りは美味そうに食べてたのが信じられないぐらいだった
無理に胃袋に詰め込み終わる頃にはみんな既に平らげてまた独り言に没頭していた
正直、いろいろ勘弁して欲しい
食事アンケートを書いて改善してもらおうかと本気で悩んだ
食後は自主練で左足の上げ下げをした
リングが外れた分かなり身軽になったが、逆にリングを掴んで移動することができなくなってしまった
前述の通り、いつまでもリングに頼る訳にはいかず、自力で足を持ち上げなければいけない。
今回のトレーニングはまさにそのためである。
足を持ち上げようと力を入れる
ピンが痛み始める
プルプル震えながら足がゆっくり上がる
ある程度上がってしまえば楽になり、そのまま10回振り続ける
相変わらず動く度に血が出る
最近は少し量は減ってきている
小休憩を挟む
休憩といってもそれは足のことであり、上半身は休む必要がない
ダンベルを持ってベンチプレスを始める
やり過ぎて腕をダメにしないように20×6セットにした
終わる頃には腕がイイ具合の疲労感に包まれた。
再び足を動かす
今度は回数を15回に増やして行った
そして小休憩
..やってしまった
気づいたらまた寝てしまったのだ
時間はおそらく10~20分程だろうか
まぁ午前中だし昼夜逆転にはならないだろう。
起こしに来た看護婦さんが持ってきたものは機械だった
リングを外したら使えるのだから当然か
機械を足にセットする
設定角を40度にして開始してみたが、これまでの成果もありあっさりクリア
少しづつ角度を大きくして結局55度で行うことにした
負荷がちょうどよく、ピンも少し痛むぐらいの塩梅だ
これをリハビリまでずっと着けているそうだ。
リングを外して初の膝曲げ
どこまでいくのかと期待していた
角度60度
最高角だ
ただし、そこまでであった
結局ピンが筋肉の動きを阻害しているため激痛と曲がり辛さが残っていたからだ
次の手術が決まった
7月3日(金)骨内異物除去手術
つまり創外固定ピンの除去である
長い間ピンを刺していると感染症を患ってしまうらしい
明日7月2日(木)にレントゲンをとり、骨の固定具合を見てからピン抜きするかしないかを判断するとのこと
ピンを抜いた後、当たり前だが骨には穴が空いている
数ヶ月後には骨が徐々に成長して強度を増す。
希に穴に沿ってヒビが入ったり、再骨折するらしい
運のない自分だ
何だか不安になる..
..自分の身体を信じるんだ
#事故編 #教訓と代償
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