GPZ900R Ninjaの投稿検索結果合計:5967枚
「GPZ900R Ninja」の投稿は5967枚あります。
キリン、東本昌平、Ninja、gpz900r、ニンジャ などのタグがよくつけられています。投稿されたツーリングスポット情報・カスタム事例などGPZ900R Ninjaに関する投稿をチェックして参考にしよう!
GPZ900R Ninjaの投稿写真
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08月10日
86グー!
♥️GPZ900Rミーティングのご案内🏍️💨
8月10日(日) 🌧️ 旅準備中…
開催まで残すところ1ヶ月を切りました
主催者様からの告知、展開致します✨
【開催日時】
2025年9月7日(日) 聖光寺9:30/霧ケ峰11:00
【開催場所】
聖光寺(長野県蓼科市)/霧ケ峰(長野県諏訪市)
【お問い合わせ】
https://yuunagi1041639.wixsite.com/venus-gpz
🍀事前エントリーにて参加表明お願い致します
ちなみに当方
前日から会社先輩(A2南ア)と前乗り予定で~す😁
#gpz900r
#Ninja
#ニンジャ -
08月09日
112グー!
追悼の朝走り
予告通り、今朝はGPZ900Rで走っています。
GPZ900R。通称、初代Ninja。
ツウっぽく書くと、ヨーロッパ一般と豪州仕様がGPz900R(Zは小文字でした)。カリフォルニア(US)仕様のみが英数字なしの、Ninjaという名称でした。
いつも走る就実の丘方面は低い雨雲と霧がかかっていたので、市内を走りました。
自分の居住地は、小さな地方都市なのですが、いっちょまえに市内をぐるっと取り囲む環状線なんかもあったりして、ちょっと飛ばすくらいの走り方は可能です。
改めて思いましたが、Ninjaのデザインって都会が似合うのですね。しかも、圧倒的にに夜ですね。
東本さんが劇中に好んでNinjaを登場させた理由も理解できます。
なんでしょうね。説得力があるんですね、このバイクの立ち姿には。
いまやもう、さほど速くはないのだけど、身にまとうのは最速バイクのイメージ。そして、ハードボイルドな雰囲気。
このあたりは、初代カタナのデザインに通づるものを感じます。カタナの場合は、そこに無機質でソリッドなものが加わる。まさに刀ですね。
ニンジャも刀も、もう、こんなデザインのバイクは出てこないでしょう。現代ではデザイン云々よりも、車体の設計思想が別の次元になっています。
二十代からずっと乗ってきているので、自分の中ではスタンダードな現役バイクなのですけど、客観的に見ると、やはり、旧車、なんでしょうね。
夢中で走り回って、気づかない間に時代が一回りも二回りもしてしまいました。
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GPZ900R Ninja
08月08日
137グー!
漫画家の東本昌平さんが亡くなった。
僕の人格形成に多大な影響をもたらした人の1人。
15才の時から寝ても覚めてもバイクの事を考えていた少年が、漫画「キリン」にたどり着くのは必然でした。
劇中で描かれるディープなバイクの世界に没入し、純真なバイク少年が「チャックチャックイェ〜ガ〜」となるのは時間の問題でした(わかる人は笑ってください)
漫画で描かれるハイ・スピードな世界。
まるで激流に逆らう様な風圧の描写、極限状態での精神のありよう。
これらの表現は、まさにライダーだけが感じ取ることが出来るリアルなものでした。
たくさんの素晴らしい物語をありがとうございます。
次回バイクに乗る時は、GPZ900Rを選択しようと思います。
チャック・チャック・イェーガー
#東本昌平
#キリン
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GPZ900R Ninja
08月07日
72グー!
自分のバイク人生に多大なる影響を与えてくださった東本昌平先生😭
ありがとうございました🥹
ご冥福をお祈りします🙏
#東本昌平 #キリン #バーンストーム・トゥルップス #曲技旅団突撃隊
#我が名はバイク乗り -
GPZ900R Ninja
08月03日
92グー!
Kawasakiの夏、Ninjaの夏
北海道らしからぬ暑さが続く今年の夏。
この勢いで、冬になっても雪は降らなくても一向に構わないなですけど、そういう訳にもいかないのでしょう。
北海道で長年バイクに乗ってますが、ここ数年、夏に乗るバイクって熱いんだ。って事が理解できました。
ちょっと前だと(10年以上?)真夏に革ジャン着ても、状況によっては寒かった。30年前だと、シーズン通して革ジャン着用がわりと当たり前でした。
僕は寒がりですが、それを差し引いても気温は上がってる、って事なんでしょう。
枕草子だったか源氏物語か忘れましたが「夏は世に知らず暑き」ってフレーズがありました。現代語訳だと「夏はめっちゃ暑い方がいいわぁ」って感じでしょうか。関東関西に住んでる方には怒られそうですが、僕もそう思います。夏らしく暑い夏が好きですねぇ。TUBEか?(古っ)
夏専用のペアスロープのスィングトップを、帰りぎわ、近所のクリーニング店に出してきました。バイクで立ち寄り、店内で脱いでそのまま渡してきました。
麻が素材の、赤ワイン色の風通しのいいジャケットです。リーライダース101を履いてこれを羽織ると、ジェームス・ディーンのなりそこないが出来上がります。狙っている訳ではありません。
今はまだ暑い北海道ですが、8月に入ると一気に季節が進みます。
来週にはクリーニングから戻る赤いスィングトップ。今年の出番はあと何度あるのでしょう?
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08月01日
112グー!
旧深名線、沼牛駅跡。
季節が巡るように、定期的に訪れる場所。
北海道の、雪深い辺境の地を走っていた鉄道路線、深名線。1941年全通、1995年廃線。
廃止から、もう30年も経つんですね。
僕が大型二輪を取得したのが1995年でした。当時は限定解除と言っていた。
大型バイクに乗らせないための、実にくだらない制度。これ一つとっても、日本という国家・政治が、どのように国民の事を考えているのかがよく分かります。
結局、この排他的な制度は、米国からの外圧によってあっけなく崩壊するのだけれど、その崩れかた、内容も笑えないほどバカらしいものでした。米国のGDPの割合に照らし合わせれば、取るに足らないほどの売り上げしかない二輪メーカーの、利益確保のため。
この一件からでも、戦後のアメリカと日本の関わり方、関係性。力関係が読み取れます。
のっけから話が明後日の方向へ逸れてしまいました。
要するに深名線廃止の年と、僕がこのバイクに乗り始めたのが同じタイミングだった、って事です。そして、深名線と並走する国道275号線が格好のツーリングルートだった事。
これらの要素が重なり、廃線間近の線路を走る気動車を、GPZのシートの上からよく目にしました。
大きな声じゃ言えないけど、並走する気動車を追い越した事もしばしば。
真っ白い花を咲かせた広大な蕎麦畑。その中を走るちっぽけなオレンジ色のキハ40。開け放たれた窓から手を振る子供達の笑顔。初めて乗った大型バイク。
そんな思い出が、若かった僕の心に、総天然色の写真のように焼きついているのですね。
GPZは様々な部品を交換して、カラーリングさえも変わってしまった。気がつけば、もはや立派な旧車だ。部品も廃番が目立ち、いつまでこのバイクに乗る事が出来るのかわからなくなってきた。
でもまぁ、動かなくなっても、手元には置いておこうと思います。