
T
北海道に住んでいます。
バイクブームだった80年代に青春を過ごしたおかげで、DNAレベルにバイク愛が刷り込まれました。16才の細胞に流れ込んだままです。
僕の人生はRZ50て始まり、GPZ900Rによって方向付けされました。それは、いまだに続いているようです。
直列4気筒エンジン以外にバイクの価値を見出せない男だと思っていたのですが、癖のあるVツインに乗り出したのは自分でも驚きです(歳かな?)
Kawasaki信者ですが、カワサキオンリーという訳ではないのです。
バイク歴
RZ50
GSX250S刀
CB400SF
ZZ-R400
GPZ900R(現)
ZX-11
スポーツスターXL1200S
K1200R
ZRX1200R(現)
Z900RS
V7Special(現)
よろしくお願いします。




旧深名線、沼牛駅跡。
季節が巡るように、定期的に訪れる場所。
北海道の、雪深い辺境の地を走っていた鉄道路線、深名線。1941年全通、1995年廃線。
廃止から、もう30年も経つんですね。
僕が大型二輪を取得したのが1995年でした。当時は限定解除と言っていた。
大型バイクに乗らせないための、実にくだらない制度。これ一つとっても、日本という国家・政治が、どのように国民の事を考えているのかがよく分かります。
結局、この排他的な制度は、米国からの外圧によってあっけなく崩壊するのだけれど、その崩れかた、内容も笑えないほどバカらしいものでした。米国のGDPの割合に照らし合わせれば、取るに足らないほどの売り上げしかない二輪メーカーの、利益確保のため。
この一件からでも、戦後のアメリカと日本の関わり方、関係性。力関係が読み取れます。
のっけから話が明後日の方向へ逸れてしまいました。
要するに深名線廃止の年と、僕がこのバイクに乗り始めたのが同じタイミングだった、って事です。そして、深名線と並走する国道275号線が格好のツーリングルートだった事。
これらの要素が重なり、廃線間近の線路を走る気動車を、GPZのシートの上からよく目にしました。
大きな声じゃ言えないけど、並走する気動車を追い越した事もしばしば。
真っ白い花を咲かせた広大な蕎麦畑。その中を走るちっぽけなオレンジ色のキハ40。開け放たれた窓から手を振る子供達の笑顔。初めて乗った大型バイク。
そんな思い出が、若かった僕の心に、総天然色の写真のように焼きついているのですね。
GPZは様々な部品を交換して、カラーリングさえも変わってしまった。気がつけば、もはや立派な旧車だ。部品も廃番が目立ち、いつまでこのバイクに乗る事が出来るのかわからなくなってきた。
でもまぁ、動かなくなっても、手元には置いておこうと思います。