FLHRC Road King Classicの投稿検索結果合計:383枚
「FLHRC Road King Classic」の投稿は383枚あります。
ハーレー、ツーリング、flhr、ロードキング、hurley などのタグがよくつけられています。投稿されたツーリングスポット情報・カスタム事例などFLHRC Road King Classicに関する投稿をチェックして参考にしよう!
FLHRC Road King Classicの投稿写真
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2024年09月29日
97グー!
ハヤサカサイクルのイベントに行って来ました!その1
ロードグライド2024に試乗しました!
エンジンがMilwaukee-Eight 117で排気量1,923cc最高出力107 HP …だそうです…😅
しかも…ライディングモードが「ロード」「スポーツ」「レイン」「カスタム」の4種類に設定可能らしいです…
いつの間にこんな機能まで…
先日…FLHRCで高速走行中に急な雨のため…リアタイヤが滑り出した時があったので…
レインモード…あったらいいかも…
結論…思ったより乗りやすかった!!
けど…高過ぎて自分には買えません…😭
明日もやってるので…他のバイクも試乗しようかな…🤔
#ハーレー
#harleydavidson #ロードグライド
#バイクのある風景 -
2024年07月07日
107グー!
よ〜く見ると…ちびっ子が泳いでいました!(2枚目)
さすがに…冷たくないかな…🥶
以下は公式サイトからの抜粋です。
▓水音が轟く二階滝!木々の表情と共に楽しめます
高さ約10m、幅約30mの豪快な滝で川幅いっぱいに流れ落ちる水量の豊かなこの滑津大滝は、「二階滝」とも呼ばれ、独特の形で見る人を圧倒します。散策道から眺める滝の轟々という水音と、まるで生き物のような水しぶきは迫力があります。
滑津大滝までは、国道側の駐車場から歩道が整備されており、階段を降りると、上流に滑津大滝と広い滑床(岩石の河原)で、古くは男滝・女滝と呼ばれていました。滑津大滝の名前の由来となった滑床は、広さ100㎡の凝灰岩でできており、そこに渦巻状にしぶきをあげて落ち込む姿は豪快であります。
また、隣接する「旬の市七ヶ宿」の駐車場には「滝見台」がつくられており、滝の上から眺めることもできます。
紅葉の時期には、ライトアップもあり、寄るに輝く水しぶきや紅葉は季節限定の楽しみです -
2024年07月07日
92グー!
バイク神社のお土産に…御守り購入しました!
#バイクのある風景
#ハーレー #ツーリング#ロードキング #flhr
#カワサキ#zzr#zx11
#バイク神社
#山形県
#長井市
■なぜ…『義』なのか…
直江兼続といえば、「智勇兼備」で「義」を信条とした武将…
以下は、長井市のHPより抜粋し掲載しております。
▓ながいの歴史
上杉謙信の後を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598)に越後より会津、米沢など120万石に加増されますが、このとき、長井(置賜郡)30万石は、秀吉の指名で直江兼続に与えられました。
兼続は、最上軍との戦に備えるため、すぐに置賜と庄内の連絡路として、長井草岡~葉山~朝日岳~以東岳~庄内を結ぶ軍用道路づくりにとりかかりました
この大工事には、長井の農民や修験者(山伏)、山人らを総動員して、短期間でつくりました
これは、地元の人たちが日ごろ使用している道を改修したものでした
上杉方の武将で、酒田城を守っていた志駄義秀は、多くの将兵を連れていき直江兼続による統治 の朝日軍道を通って米沢に撤退しました
その道の完成後、上杉軍と最上軍が畑谷や長谷堂で激しい戦いを繰り広げますが、そのときには、長井から数百人が援軍としてかり出されました。
その戦いの戦勝を祈願して、この『總宮神社』にお参りしたといわれています。 -
2024年04月20日
113グー!
蔵王エコーラインに行って来ました!
まだ、開通はしていないことは知っていましたが…
さすがに…寒いです🥶
開通は、4/26AM11時らしいです!【3枚目の写真をどうぞ!】
以下は、ホームページより
■蔵王神社大鳥居【赤い大鳥居】
青根道から左に折れると『蔵王参詣表口』となります。
かつては御山詣りの一の鳥居がありました(二の鳥居は小妻坂または棚村、三の鳥居は円田字大鳥)。
■蔵王古道
刈田嶺神社里宮から刈田岳山頂に建つ奥宮まで 標高差1450m、距離15km
ふたつの社殿をつなぐ いにしえの道
■いにしえの道 蔵王古道
今から1200年ほど昔、蔵王の山は、当時「刈田嶺」「不忘山」と呼ばれ、山そのものが、神さまとして祀られていました。その後、奈良の吉野で発祥した修験道が全国に広まり平安時代の後半には、「刈田嶺」も修験の場となり、山伏たちが山頂に蔵王権現を祀ったことから、いつしかこの山は「蔵王山」と呼ばれるようになったのです 。
江戸時代中ごろから、庶民の生活が安定し余裕が生まれ旅行文化が花開き、遠刈田を出発点とし賽の碩を経て刈田山頂を目指す蔵王御山詣りが誕生したのです。
300年ほど前から続いてきた蔵王の御山詣りは、明治維新の神仏分離令によって多少のダメージを負うものの、太平洋戦争後まで盛んに続けられていました。1962年蔵王エコーライン(自動車道)が開通すると観光化が一気に進み蔵王古道は廃れていき、古道を歩く者はいなくなり、いつしかその存在すら忘れられてしまいました。
御山詣りで歩いた道は、一部エコーラインに重なり寸断されているものの、2014年に4年の歳月を掛けて、半世紀ぶりに復活することができました。