ホッチ(Hotchi)さんが投稿したツーリング情報

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    船頭平閘門
     船が、水面の高さの違う川、水路、海などを進むときは、水門で水を調節し、水面の高さを一定に保ちます。この働きをする水門を閘門といいます。
     「船頭平閘門」は、木曽川と長良川の間を船が行き来するために造られました。木曽川下流改修(明治改修)以前、木曽・長良・揖斐の三川は入り乱れて流れ、物資は川伝いに運ばれていました。
     川沿いの犬山、笠松、岐阜、大垣、津島、桑名などの都市は三川河口部・伊勢湾を経て名古屋や四日市・伊勢と結ばれていました。
    ●閘門設立の請願
     明治改修の主目的「三川分流工事」は、網の目のように流れていた三川を締め切り、各々独立した川にして、他の川の洪水の影響を受けないようにしました。この三川分流工事によって船は一々河口を回らなくては、隣の川に行けなくなり、船の利用が途絶え船運によって繁栄を支えてきた桑名港は衰退してしまいます。そこで、明治27年(1894)5月、桑名町の佐藤義一郎らは国会に閘門設立を請願した結果、現在の立田村船頭平地内に設置が決定されたのです。
    船頭平閘門完成後の様子
    明治35年(1902)に閘門完成後、大正初年までは、年間2万隻以上の船が通りました。筏の数も明治年間は、年間1万枚を超えていました。しかし、昭和8年(1933)に尾張大橋、昭和9年(1934)に伊勢大橋が完成し、陸上交通が発達してきたため、船、筏の数は減少し、現在では荷物を積んだ船はほとんどありません。
    重要文化財になった船頭平閘門
     船頭平閘門は、平成12年3月17日の文化財審議会において、重要文化財に指定するよう文部大臣に答申、平成12年5月25日文部省告示第103号により官報告示されました。

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