
チェリー
16歳で原付の免許を取り、NS50Fから始まり、2スト4スト、250cc、400cc、900cc、1200ccと色々乗り継いできました。
時の流れは早いもので、40半ばになってしまいました!
当時は大型も試験場で取るしかなかったので、12回目でやっと受かりました! 早い話が上手くは無いって事です(-。-;
今はダイナローライダーS、CB1100RSが相棒です!
モットーは「人生は楽しんだ者勝ち」「旅の恥はかき捨て」
自分の行ける範囲の「珍しいと思う場所 」「お城」「神社・仏閣」などを遠方の方にお届けする形の投稿が多いかも知れません(^.^) 暖かい目で見てあげて下さい!
尚、大排気量が偉いとか、外車が偉いとか、中免ではダメとか、このメーカーはダメとか、全く興味がありません! 車種問わずバイクが好きです♪
バイク乗り同士、楽しくやっていきましょう(^^)/










織田信長の足跡を追う!
『万松寺』〜『稲生の戦い』😄
尾張、万松寺! 信長は父信秀の葬儀に喪主でありながら、茶筅まきの髪に腰には荒縄の帯、長束の太刀と脇差と、葬儀にふさわしくない姿で現れ、いきなり仏前に進むと抹香を大きく手づかみにするなり信秀の位牌に投げつけた。 かの有名なお寺です😄 次の当主(信長)はうつけ者だから、尾張も終わりだ!と比喩されたとか😂
信秀生存時から、信長には平手政秀、弟の信行には林貞通、柴田勝家が傅役(補佐)として付けられていた。
そんな中、平手政秀が突如自害! その上、
後ろ楯でもあった義父の斉藤道三が戦死!
強大な戦力を誇る2人が亡くなったので、これは好機と柴田、林が弟の信行を織田家当主にしようと企て合戦をしかけたのが「稲生の戦い」です😄
信長軍700人
丹羽長秀、森可成、佐久間信盛、前田利家、など
VS
信行軍1700
林貞通、柴田勝家など
結果は信長軍の勝ち!
少ない兵力でも勝ってしまうのが凄いっす
戦後、弟、林、柴田も許しています😄
弟は再度、謀反を企て清洲城で斬られてしまいますが🥲
柴田勝家、丹羽長秀は、後に織田家中でNo.1、No.2の実力者になります! No.3は明智光秀、No.4は羽柴秀吉です😄
ちなみ
羽柴秀吉は「羽」の字は丹羽長秀から、
「柴」の字は柴田勝家から一字づつ貰っています