
レトロブラッド
土曜日の夜
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旧車カスタム大好き
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情緒を求めて探索
さあ、レトロを探しに出掛けよう!!






天気良すぎ🌞
体調悪いがちょっとだけ走りにゆく
安定の榊原方面県道28号から美杉を抜け今まで行ったこと無い一志の方へ
縄文の遺跡とな👓🎓
これはこれは😆👍ちと観察
※ここから超長文考察のため読み飛ばし推奨😆
縄文期の列石遺構ってやつですな
4000年前から3500年前!なるほど
とてもシンプルで建家の存在は認められません
場所は河岸段丘、扇状地の始点
安全かつ安定した立地です🕶️
縄文の人が用途を特化して使った場所
墓場でもありませんし、おそらく一年のある時期に季節の産物を皆で分けたり祭りを行ったりした場所なのではないでしょうか
そして出土品🏺以下コピペ
「遺物は多量の土器、土偶、勾玉(まがたま)などの土製品、石器、石製品、骨片、辰砂(しんしゃ)原石が出土した。土器は深鉢、浅鉢、壺、注口土器が見られる。ほかに、皿状、高杯状、釣り手土器、ミニチュア土器がある」
祭祀的用具(要するに宴会道具)に加え
なんと、辰砂原石とな🕶️✨✨
松阪は昔から辰砂交易で栄えた土地
多気周辺は中央構造線上なのでその辺りなら理解できますが、20kmほど離れたこの辺りでも出土ということは、やはり交易資材として当時から財産として扱われていたということになりますね✨
縄文の人は弥生よりも前から辰砂の価値に気付きその採掘を行い、他の土地の物産と交換するための資材として活用してきたのでしょう✨
と、云うことはだ、
この財産を盾に存続を続け、そのまま弥生時代に入っていったことも想像できます
このような個々の集落が交易によって繋がりネットワーク化することで倭国の文化が醸成されたのかもしれません
古代の伊勢広域の人々はいわば「持ってる人びと」です
自然と食料と辰砂などの交易資材
おそらくこれらが揃っていないと生きていけない
そして、その資材を交易する場所
これが大和、奈良盆地であったのでは?
という想像が出来ます
奈良盆地は北陸、東海、伊勢、紀伊、四国、瀬戸内、九州とかなりの繋がりを持てる場所
大和王権の前、この地には巨大縄文市場があったのではないか?
というのが私の推測です🕶️
各地の首長が物産を持ちより交易し情報交換する場所として🏺
それがいわゆる神無月、神有月の起源ではないかと☝️
これは出雲に伝わりますが、出雲の神は元々奈良を治めていたのです
国譲りは実際にあった!
出雲文化である銅鐸を代表する銅製品はある時期を境に一気に鏡祭祀へと変わります
これが二世紀後半、三世紀はじめの古墳時代初頭
これらの出土品が国譲りが実際に起こったことを裏付けている様な気がします👀✨
縄文時代に存在した痕跡から大和王権の成立までの謎を辿る考察
これらの想像を元にして、これからも痕跡探しに邁進するとしよう😆
(稚拙な考察にお付き合い頂き本当に申し訳ない🙇✨)