
ゴッド・スピード
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30年ぶりにバイクに乗っています。
近年のバイク状況、バイクのある生活、ツーリングプランに興味があります。
よろしくお願いいたします。
ツーリング仲間を増やしたいです。東京の多摩地区に住んで居ます。
東京近県でツーリングサークルなどに所属している方は、お誘いください。
土日、祝日、平日、夜間 OKgood
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榛名湖、法水寺朝山會館、水澤観音寺など本日のグループ・ツーリングです。
イチゴパフェを背景にもつ
未来のバイクをイメージした
AI生成画像です。
♥️カッコイイ"についての考察①
私はバイクにカッコイイものなど無いと思っている。過去のものでも未来のものでも、カッコイイバイクなど無いと思っている。カッコイイというのは、人の生き方(死に方)などの形容にいくらか見いだせるのであって、それ以上のものには無いと考えている。喩えて言うなら、カッコイイ豆腐は無く、カッコイイ扇風機は無く、カッコイイ電車は無く、カッコイイ高速道路は無い、ではなぜ人は?カッコイイと言ってしまうのか?私はいくつかそれに対する答えを持っている。今日は考察"カッコいい"の①だから簡素に解り安く考えよう、ここに「あなたが乗るとどんなバイクもカッコ悪く見える」という1つの帰結があるとする。つまり乗る人(所有者)がバイクの印象を決定するというものだ。乗る人の見た目ではなく、乗る人の生き方や行動がバイクをカッコイイものにもするし、カッコ悪いものにもするということだ。従って単一の物体としてカッコイイバイクは無い。
♥️カッコいい"について②
私が思うに、有機的な存在ではない(生命体ではない)バイクが唯一、「素敵」で「可愛いく」、そしていくらか「カッコよく」思えるだろう瞬間があるのは、それが有機的(生命体)な存在と結び付いているときだけである。それもほとんどゼロに近い可能性として。具体的には、バイクの背景なり近くに有機的な存在が介在しない限り、カッコいいバイクなど存在しない。一枚の写真なら、バイクの背景に無機質なコンクリート壁を配置しても、カッコいいモノではない。それでは、なぜ私たちはそのように配置されたバイクでも時として、「カッコいい」と表現してしまうのか…?それはおそらく、物欲にまみれた思考の無知と無関心からである。



