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北海道に住んでいます。
バイクブームだった80年代に青春を過ごしたおかげで、DNAレベルにバイク愛が刷り込まれました。16才の細胞に流れ込んだままです。
僕の人生はRZ50て始まり、GPZ900Rによって方向付けされました。それは、いまだに続いているようです。
直列4気筒エンジン以外にバイクの価値を見出せない男だと思っていたのですが、癖のあるVツインに乗り出したのは自分でも驚きです(歳かな?)
Kawasaki信者ですが、カワサキオンリーという訳ではないのです。
バイク歴
RZ50
GSX250S刀
CB400SF
ZZ-R400
GPZ900R(現)
ZX-11
スポーツスターXL1200S
K1200R
ZRX1200R(現)
Z900RS
V7Special(現)
よろしくお願いします。





昨日は、夜にNinjaで走りました。
メーターがもうすぐゾロ目だったので気になっていたのです。
近隣を100Kmほど走って7揃い。節目ですね。
31年前に5,000キロ走行の中古車を買って、自分で走らせたのは72,000キロ。年平均だと2,500Km以下ですね。途中、10年以上放置。
ちなみに6揃いは3年前の9月3日でした。年間の走行距離は3,000キロだね(4枚目と5枚目)
7揃いの記念に、ちょうど近くに古い建物があったので写真を撮ってみました。
東本昌平の漫画に刷り込まれたのだと思うのだけど、Ninjaには夜の雰囲気があるね。やっぱりハードなイメージなんだよね。
写真の建物は醤油屋さんです。明治23年創業の造り酒屋が前身という本物のレトロ物件。
明治23年、西暦で表すと1890年。ほぼ、旭川の歴史そのものですね。
少しだけ解説すると、旭川最初の和人と言われる鈴木亀蔵が石狩川と忠別川の中洲に住み始め、仲間と興したのが笠原酒造店。その後、日本酒造となり、大戦末期の1944年に政府による企業整備をうけ醤油製造へ。
現存する建物は明治期のもの、と言われていますが、会社としての遍歴があるので全てがそうではないでしょう。しかし、仮に昭和初期のものだとしても100年は経過しているはずで、保存建築物ではなく現役の工場として使用している事実には驚きます。
ちなみに、亀蔵が住んだ中洲は現在は亀吉町とよばれ、日本醤油のある地区は曙町と呼ばれています。街の始まりだから曙町ですね。
また、曙町は明治期に遊郭があった場所でもあります。当たり前ですが現在はその面影はなく、河原べりにひっそりと佇む小さな稲荷神社だけが、わずかに逝きし世の面影を伝えるのみです。