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▼所有車種
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- V7 SPECIAL
北海道に住んでいます。
バイクブーム真っ只中の80年代に青春を過ごしたおかげでDNAレベルでバイク愛が刷り込まれました。
16才でRZ50に跨ってから現在までずーっとバイク乗り。
結婚、子育て、マイホームなど、バイクに対する脅威をことごとく乗り越え、時には死線をさまよいながらもバイクに乗り続けてきました。
GPZ900Rは心の友。我が翼。どんな時でも手放さず手元に置き続けて来ました(10年以上放置プレイだったのはナイショです)
基本的にカワサキ信者なのですが、カワサキしか乗らない訳ではありません。
よろしくお願いします。


覚え書き‥‥の、ようなもの。
※最後まで読んで不快になったらごめんなさい。最初に謝っておきます‥。
・副題?
オッさんの異常な愛情 または私は如何にして所有台数を減らすのを止めて乗り換えを決意するに至ったか
はい。出だしから変質者の独白のようになっていますが。安心してください、その通りです。
実は、一月の初めに母親が死んで、仏教徒的に今日は節目の日でした。え〜っと、フォーティーナインズディ?
こんな事は全く書く気はなかったのですが、気が変わったのと、暇だったので自分の覚え書きとして残しておきます。
母親が死んだ事に対して、高齢だった事もあり、ある種の覚悟はずいぶん前からできており特に感慨はありませんでした。正しく順番が回って来た。そんな印象です。
それよりも驚いたのは、母親の部屋の片付けをしている時でした。ちなみに、一軒家に同居です。
古い人間の常で、母親という人も物を捨てられない人でした。これでもか!というくらい色々な物が出るわ出るわ‥。とりわけ多かったのが衣類と毛布等の寝具。
物の溢れる部屋で寝具の選別をしている時、布団の隙間に郵便局の封筒が挟まっているのを見つけました。ATMの横なんかに置いてあるやつです。
中を確かめると、旧札で5万円が入っていました。
よく探してみると、衣類箱の底やら布団の隙間のあちらこちらに現金入りの封筒が注意深く隠されていました。
お金の入っている封筒はどれも見覚えがあり、おそらく全て僕が渡したものでした。
自分は一人っ子にもかかわらずロクでもない息子で、自他共に認める親不孝者です、そんな実感もあり、
「死ぬ前に少しくらいなんとかしとかないと、化けて出られると厄介じゃ」
との打算にもとづき、10年ほど前からお小遣い、と称して気が向いた時に適当な額を銀行封筒に入れて母親に渡していました。
もちろん全てではありませんが、あまり使わずに取っておいたようです。
また、薄々知ってはいましたが、僕が買い与えた靴や服も、思った通り新品のまま保管してありました。
「金も使わず、服も身につける前に死んじまったら意味などないだろうに」
でも、これが彼女の価値観だったのでしょう。もしかすると、僕に対する真心であったのかもしれない。質素、倹約、清貧に生きる。何故だか僕には少しも遺伝はしなかったようです。
見つけた銀行封筒を見ていて、ふと思い出しました。
僕が16才で乗り始めた最初のバイクは白赤のRZ50。新車で買ったのですが、バイト代が貯まらず、足りない分は母親に借りました。当時の新車価格は17万〜18万。不足分は確か8万円だったと思います‥いや、10万円だったか‥?
とにかく、「絶対返すからさぁ〜、母上様〜」などと確信犯的な手口で母親と交渉したのでした。話し合いがどうだったか、全く覚えがないのですが、おそらく何も言わずに出してくれたのでしょう。こうして僕のバイク人生は始まったのです。
「あんたに借りた金、返してなかったね」
僕は、自分の財布の中から新札の一万円札を8枚とり出し、母親の遺骨が入っている陶器の下にそっと差しこみました。
「ところであの金、俺の手に戻ったからには使い道はわかってるんだろう?知ってのとおり俺のことだから、同じ事を何度でも繰り返すのさ。使っておけば良かった、って思ってもいまさら後の祭りだからね」
まったくバカに付ける薬はありません。バイクバカだとなおさらです。母の死から教訓を得るどころか1ミリの反省もありません。
引かぬ!媚びぬ!かえりみぬ!
何処かのマンガの脳筋バカそのままです。母上様、父上様、ご先祖様、ごめんなさい。
でも自分は母親や父親とは考え方が違う。生きている今、体が自由に動く今、好きなバイクに乗っておきたい。自己中心的、利己的きわまる人間だとの自覚があり、そして確信犯なので始末におえません。おそらく、死ぬまで治らないのでしょう。
こんな経緯があって、Z900RSを乗り換えたのです。
※税務署関係者各位 ここに書かれている金銭ですが、贈与税には抵触しない金額ですのでご安心ください。