アズサさんが投稿した愛車情報(750SS)

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    H2を購入して25年経ったのでせっかくなので昔の話を…

    高専を出て93年に関東に上京して、入社3年目にZX-4を買った。その後ARを3、4台買うが、やはり大型にも興味が出てきてカタログ等を調べ始めた。
    当時自分が開発に携わった遊技機がそれなりに売れて、報奨金が貰えたのでその記念に、というのもある。

    ZX-4は高専時代の同級生が乗ってて、それがカッコいいと思って買ったが、基本的にはカワサキのシンプルなデザインのものに惹かれていた。高専時代はずっと2ストに乗ってたし、自分と同じ1971年生まれというのが気に入って、H2に乗りたいと思い始めた。
    また中学の頃見てたキラーBOYという漫画にちょっとだけH2が出てるけど、けっこう印象的でそれも気になっていた。このバイクは750SSとかマッハⅣとか色んな呼び方があるけど、自分が主にH2と呼んでいるのもこのマンガの影響だ。
    さらに日本の名車というムックのSSシリーズの紹介がまた秀逸で、
    “エキゾーストノートという言葉がこれほどふさわしいバイクは他に例が無い”
    “維持するための情熱と予算さえあるなら、これほど官能的なバイクも珍しい。バイクファンだったら一度は経験しておいた方がいい。人生が変わるかもしれない。”
    という感じだったので、それも決め手となった。

    この頃は大型二輪の実技免除が始まって間もない頃で、かつまだバイク自体の人気もあったので、自分のまわりでも大型を取ろうという人が結構いた。
    99年の春に二子玉川の教習所に通い始めた。教習車は確かCB750だったと思う。
    その頃はポリゴンCGが発達しかけていた頃で、教習所にもシュミレーターが導入され始めていたのを覚えている。

    当時の雑誌ではウエマツが一番良さそうで、ちょうどH2の在庫写真も載ってたので、まだ免許は取ってないが6月に日野まで見に行った。
    本店は線路と用水路の間にある、小さな町工房といった感じだった。H2はちょっと離れたショールームにあって、当時雑誌とかにもよく出ていた若社長さんと話しをした。
    カワサキバイクマガジンの98年の7月号に、ライムのH2の写真があってそれに惚れてしまったので、これと同じにして下さいと頼んだ。社長さんもARに乗っているなら、そういう人に乗ってほしいよねとか、これド初期型だね、トリプルミーティングに行っても恥ずかしく無いね、とか言ってくれた。

    車体価格が84万、レストアとリペイント、ルーニーチャンバーにして乗り出しの見積もりが138万だった。内金を出して帰る。

    7月に免許は取れた。自分は原付免許を2回落ちているので安心した。
    あと卒検の時に一緒になった人が感じのいい人で、今は大型スクーターだけど、やっぱりニーグリップしたいですよね〜とか言ってたのをよく覚えている。

    実際にH2が手元に来たのが11月で、詳細は忘れてしまったが実際にかかったのは161万だった。
    乗り始めからずっと思っている事だけど、H2は零戦みたいなバイクだ。ZX-4に乗るとジェット戦闘機という感じがする。
    よく言われる事で、SSシリーズを買ったら2つのうちどちらかだと。こんなバイク金と命がいくつあっても足りない、となるか、このバイク以外考えられない、となるか。自分の場合後者だった様だ。

    それまでは登戸のアパートの自分の部屋の隣にバイクを青空駐車していたが、さすがにそれだと可哀想なので歩いて7分位の駐車場に、2トントラックの荷台を10万で買って置かせてもらい、その中にZX-4とH2をおく様にした。

    当時ウエマツでは購入時に写真を撮って、パーツBGの広告に小さく載せていた。2000年2月位のBGに自分も載っているが、この頃は写真をまったく撮っていないので、当時の写真はこれしか無い。

    その頃は働いていた事業所が色々変わっていたが、上野や五反田に行ってた時は246、羽田に行ってた時は環8や多摩堤通りを走っていた。
    H2には大体週1くらいで乗っていたが、やはり渋滞の時はクラッチワークが辛かった。
    当時はツーリングに行かず街乗りだけだったが、246を走っているとライムにしているせいかよくKHに間違えられた。

    2ストの宿命…というか単に自分のミスだけど、水道橋の上で焼き付きを起こして止まった事がある。幸い住んでるとこの近くだったので押して帰ってウエマツに取りに来てもらった。
    その時は確か修理でパーツが無くH1のミッションを組んだと言ってた。
    ちなみにルーニーチャンバーは九州に帰ってからノーマルマフラーに変えたけど、これは買った時にH2のものが無かったとの事でKHのをもらっていて、それが付いている。

    ウエマツは修理や車検でたまに行っていたが、本店の雰囲気が好きだった。
    高幡不動駅から歩いていく途中の景色や、H2で行く時も県道9号から都道41号を走っている景色、店から出て都道に出る時の急勾配も全部好きだった。今はいない様だけど、営業のIさんやH2担当のHさんにはお世話になった。

    ライムで邪道ではあるし、逆輸入車なので価値は一段下がるけど、乗りっぱなしなのに致命的なトラブルもなく乗り続けられている。

    九州に戻ってからは10年近くほとんど乗らない期間があったけど、1年前からソロで色々走り回る様になった。実は5年くらい前までは、あと数年したら年齢的にもH2とか乗れなくなるんじゃないかと思ってたが、まだ大丈夫そうだ…
    幸か不幸か、この年になるまで大型はH2しか乗った事無いので、たぶんパーツBGでコメントした様に、一生乗り続ける事になるかも。

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