晴走雨奏さんが投稿したツーリング情報

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    やっとここにバイクで来ることができました。

    10月13日(日)
    バイクのふるさと浜松2024に参加し、ヤマハコミュニケーションプラザを観たあと、YAMAHA本社工場から2kmほど離れたところにあるお寺さんに足を運び、いや、相棒を走らせました。

    福王寺
    ここは戦時中に、当時小学生だった今は亡き親父が疎開していたお寺です。
    ここで毎日毎日東京の方角の空を見上げて、離れて暮らす両親や弟達の無事を祈っていたそうです。
    祈り虚しく東京大空襲で家族の住む浅草の家は焼けて跡形もなくなりました。幸い家族は皆逃げて無事でしたが、そこから元々裕福でなかった暮らしが更に厳しいものになったそうです。

    昔話をあまりしなかった親父。
    特に貧乏していた戦後の話はほとんどしませんでした。
    ただ、この磐田のお寺での疎開生活は少し話してくれていました。
    冬にしもやけになったこと。それを優しいお寺のお姉さんが介抱してくれたこと。おそらくそれが親父の初恋だったんだと思います。

    親父が他界したのは12年前。その1年半ほど前に親父はお袋とここを訪ねていました。疎開以来の訪問に親父は感極まっていたそうですが、お寺の方から当時の集合写真を見せてもらうも自分が判別できなくて苦笑いもしていたそうです。
    そして当時の同窓会を開催するから是非来て下さい、とのお声がけに喜んで帰って来たそうです。
    残念ながらその同窓会は親父の他界後の開催となり、代理でお袋と姉貴が参加することになってしまったのですが…

    親父はバイク乗りで浜松の丸正自動車製造というメーカーの「ライラック」という単車に乗っていたそうです。
    姉貴とオイラが生まれて手放してしまったので実際親父がバイクに乗っているところは見たことがありません。
    オイラがバイクを乗り換える度に、あれこれいちゃもんをつけてきたのが親父との唯一のバイクの思い出です。
    そしてオイラがいない時に必ずそのオイラの新しい相棒に跨っていたとお袋がのちに教えてくれました。

    浜松や磐田に足が向いたのはもちろんイベントやコミュニケーションプラザに来たかったからですが、もうひとつ、親父のことを想い返してみようかな、と思ったこともその理由でした。

    社務所を訪ねてご住職の奥さまに訪ねてきた理由を説明していると、ふと親父のことがいろいろ思い返されて言葉に詰まってしまいました。

    その親父が52年前に立ち上げたのが今やカフェという名で皆さんに良くして頂いているオイラの会社です。
    カフェの奥の棚には分骨して納めてある親父が今もオイラ以上に働いてくれています。

    オイラはこのカフェをオイラらしく守っていこうと改めて心に刻んだ浜松、磐田へのツーリングでした。

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