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▼所有車種
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- GPZ900R Ninja
北海道に住んでいます。
バイクブームだった80年代に青春を過ごしたおかげで、DNAレベルにバイク愛が刷り込まれました。16才の細胞に流れ込んだままです。
僕の人生はRZ50て始まり、GPZ900Rによって方向付けされました。それは、いまだに続いているようです。
直列4気筒エンジン以外にバイクの価値を見出せない男だと思っていたのですが、癖のあるVツインに乗り出したのは自分でも驚きです(歳かな?)
Kawasaki信者ですが、カワサキオンリーという訳ではないのです。
バイク歴
RZ50
GSX250S刀
CB400SF
ZZ-R400
GPZ900R(現)
ZX-11
スポーツスターXL1200S
K1200R
ZRX1200R(現)
Z900RS
V7Special(現)
よろしくお願いします。

現代的ライダー考(ロートルライダーの憂鬱)
何やら仰々しいタイトルですが、先日、ツーリング中の雑談の内容です。
昔からバイク乗ってるのがエライんだぞぅ〜って言うマウントとかではありません。まぁ、ロートルライダーのカルチャーショックみたいなもんですね。
結論から言うと、現代のライダーは明るく開放的で(当たり前ですが)若々しくていいね!って話なんです。
我々のような、昭和の終わりのバイクシーンを肌で感じた世代からすると、現在のバイクの社会的立ち位置は驚くほど真逆です。
人それぞれ感じ方は違えど、大まかな方向性として、僕等が通り過ぎて来た時代において、バイクとバイクに乗る人間は基本的にアングラでした。
ありていに言えば、社会からドロップアウトした若者の乗り物がバイクでした。
80年代から90年代初頭。団塊ジュニアが若者だった時代です。若者の人口も多く、生きる為の競争も激しかった。受験戦争なんて言葉もあったし、社会は若者をどんどんふるいにかけた。現代のように、優しく保護しながら育てる、なんて文化はなかった。ダメなら切り捨て、ってヤツです。
尾崎豊の歌そのままです。あれを聴くと気恥ずかしいんだけど、当時の自分の気持ちのまま、って気がします。
現代の日本に比べて経済的には恵まれていたのは事実だし、派遣社員なんて負の制度もなかった。
しかし、過酷な受験制度や社会規範についていけない若者もいた訳だし、当時の社会はそんな若者に対して冷たかった。今で言う自己責任ってヤツです。関係ないけど、僕はこの言葉は大嫌いだし、軽々しく使う人間を信用していません。
そんな、社会から疎外された孤独な若者達。その一部がたどり着いたのがバイクです。
社会に対する抑圧された感情。若さに依存する暴力的な破壊衝動。内在する疾走感。それらをスピードという反社会的な行為で解き放つ事ができたのがバイクでした。社会に対する唯一の自己表現であったかもしれない。
なんでこんな事を書くかというと、僕がそうだったからです。12Rの彼もそうだった。ホーク11の後輩は少し下の世代で、現代ライダーとの境目に位置している。
現在の言葉で表現すると、中二病、って事になるんでしょうけど、もっと根源的でドロドロしたものだったように思う。
長々書いてますが、なにが言いたいかというと、羨ましいんですよ。屈託なくバイクを楽しむ現代の若者達が。仲間でワイワイ走りながらオシャレなカフェなんぞをハシゴする。
本来、僕等が目指したバイクシーンってのはこんな感じだったように思う。
自分達の悪行がバイクの社会的地位を低めた事は自覚しているし、反省しかありません。それを責められると反論など出来ないし、何も言えなくなる。
この話にまとめはありませんし、いやいやそうじゃねーだろ。って反論もあるでしょう。これはあくまで僕の主観です。
それにしても、先日の3台。誰1人としてインカムもスマホホルダーも付いていませんでした。理由は、バイクで走る時に不必要だから。走りに集中出来ないからですね。
結局、憧れはあっても変われないんでしょうかねぇ‥。