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北海道に住んでいます。
バイクブームだった80年代に青春を過ごしたおかげで、DNAレベルにバイク愛が刷り込まれました。16才の細胞に流れ込んだままです。
僕の方向性はRZ50で始まり、GPZ900Rによって確定されたと言っても過言ではありません。
長年、直列4気筒エンジン以外にバイクの価値を見出せない男だと思っていたのですが、癖のあるVツインに乗り出したのは自分でも驚きです(歳かな?)
Kawasaki信者ですが、カワサキオンリーという訳ではないのです。
バイク歴
RZ50
GSX250S刀
CB400SF
ZZ-R400
GPZ900R(現)
ZX-11
スポーツスターXL1200S
K1200R
ZRX1200R(現)
Z900RS
V7Special(現)
よろしくお願いします。




※ダークツーリズム
本稿は近代日本、北海道開拓期の暗部を含む内容となっています。暗い内容です。苦手な方は写真でお楽しみくださいませ。
北海道は、5月末とは思えぬほど寒い日が続いております。今日も風が冷たいこと‥
いつも写真を撮っている就実の丘を美瑛方向に降りて、ひとつ丘を越えた場所に、ひっそりと山にいだかれるようなダムがあります。
春になると、咲きほこる桜が湖面に写り込む風光明媚なダム湖です。
ダムの名は、聖台ダム。(ひじりだい)ではなく「せいだい」と読みます。
この聖台ダム。歴史は古く、昭和7年着工、竣工は6年後の昭和12年です。この年表を見てピンときた人もいるかもしれませんが、北海道開拓史の御多分に洩れず、この土木工事もタコ部屋による過酷な強制労働によるものでした。
6年間で延べ10万人が動員。囚人も動員したタコ部屋労働による人海戦術。
苛烈な労働条件、頻発する虐待、脱走。あまりの酷さに何度か小樽新聞で報道された挙句、巡視に行った警官を監禁、しまいには特高警察まで出動し逮捕者4名をだしました。
この強制労働による犠牲者(死者)は24名と言われていますが、実際はもっと多いでしょう。数倍であっても驚くにあたいしません。なぜなら、この手の工事では、動けなくなった労働者を生きたまま土砂に埋めるなど当たり前に行われていたからです。おそらく、このダムの堰堤にも、名も知れぬ土工の白骨が埋まっている事でしょう。
この赤羽六代地蔵尊は、工事の犠牲者を弔うため、当時美瑛町栄町にあった法華宗真門流の尼僧が建立したもののようです。しかし、ダムの敷地には設置されず、ことさら人目につかない道はずれの木陰に置かれ、放置同然の扱いを受けて半ば朽ちかけています。
この道をよく通る自分も初めは全く気付きませんでした。存在に気づいてから自分なりに調べてみましたが、施工業者が大倉組(北海道に現存します)の下請けであった事、それと上に記した事実以外わかりませんでした。
驚く事に、当の自治体が半ばこの事実を知らない(ふりをしている?)ことでした。
すでに90年近く前の話ですし、世界的に華々しい観光地なのでわからないでもないですが、暗い歴史を表に出したくはないのでしょう。仕方のない事ですが、そのような意志を感じます。
それにしても、酷い扱いだと言わざるをえません。
国道、鉄道、ダム、水路、炭鉱、鉱山、砂白金、水銀、金。北海道の開拓の歴史は囚人はじめ最下層の人間、そして一部朝鮮人・中国人の膨大な犠牲の元に成り立っています。人を人とあつかわぬ使い捨ての歴史です。
何気なく走る道路や鉄道、ふと目にするダムや遊水池の土の下に、今も朽ち果てた白骨が埋まっているのです。
それを思うたび、道民の自分はなんとも言えぬ気分になります。