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    『breezeが心の中を通り抜ける』 

    このフレーズに反応した人は80年代に青春を過ごした人ですね。

    真夏の朝、ビーチまで走って来ました。そよ風よりは強いですが、海風が爽やかです。

    夏の日差しは景色を色濃く印象付けますね。

    夏になると聴いてしまうアルバム。大滝詠一ロングバケーション。

    1981年3月21日発売。当時僕はまだ小学生でした。

    このアルバムを聴き出したのは中学二年だったと思います。だから、本当の意味でのリアルタイムではないけれど、青春の一枚ではあります。

    1983年頃。ザモッズやToto(聖なる剣)MSGなんかを聴いていた、ひねたガキンチョだった僕に、同級生が貸してくれたのがこのアルバムでした。

    チューニングの音から始まる『君は天然色』を聴いた時、雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えています。

    ある意味、カルチャーショックだったんでしょうね〜。

    こんな華やかな音で曲を作れるのかー!って感覚。

    きらびやかに浮ついてエネルギッシュだった80年代。その幕開けを象徴するようなアルバムですね。

    日本は好景気の波に乗り、活力にあふれていた。少年だった僕たちに、将来の不安など何一つなかった。

    マセガキだった僕たちが心を奪われた音楽。そしてバイク。

    80年代ほどその二つが芳醇だった時代は無いように思います。

    RZ250、GSX1100S刀、CBR400F、そしてGPZ900RNinja。

    今でも色褪せない音楽とバイクたち。

    1985年8月、日航123便が墜落し、翌9月にプラザ合意が交わされ、1989年をピークにバブルの時代は終わりを告げました。

    そこから坂道を転がり落ち続けた果ての現在。

    思い出はモノクローム。色はつけられるのか?

    『本当はこのような文章にするつもりはなかったのですが、脱線し続けて収拾がつかなくなってしまいました😅。失礼しました』

    最後にロンバケの逸話を一つ。

    作詞を担当した元はっぴいえんどの盟友、松本隆さん

    ロンバケ作成当時、病弱だった妹が26才の若さで亡くなり、とても詩が書ける状態ではありませんでした。

    街を歩いていると、まわりの色がなくなり白黒の世界をさまよっているように感じました。

    これはいけない。妹のためにも自分に出来ることをやらなければならない。

    そういう思いから作られた歌詞が、あの有名なフレーズ。

    思い出はモノクローム、色をつけてくれ。
    もう一度そばに来て、はなやいで麗しの
    color girl

    この超ビッグなヒットナンバーは、亡き妹に捧げる歌でもあったのですね。

    ‥おしまい。







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