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▼所有車種
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- GPZ900R Ninja
北海道に住んでいます。
バイクブームだった80年代に青春を過ごしたおかげで、DNAレベルにバイク愛が刷り込まれました。16才の細胞に流れ込んだままです。
僕の方向性はRZ50で始まり、GPZ900Rによって確定されたと言っても過言ではありません。
長年、直列4気筒エンジン以外にバイクの価値を見出せない男だと思っていたのですが、癖のあるVツインに乗り出したのは自分でも驚きです(歳かな?)
Kawasaki信者ですが、カワサキオンリーという訳ではないのです。
バイク歴
RZ50
GSX250S刀
CB400SF
ZZ-R400
GPZ900R(現)
ZX-11
スポーツスターXL1200S
K1200R
ZRX1200R(現)
Z900RS
V7Special(現)
よろしくお願いします。



旭川中島遊廓大門跡(中島交友会館)
戦後、隠蔽されてしまった歴史の傷跡。
学校の授業では、決して教えてくれませんね。
わざわざ掘り起こすつもりもありませんが、無かった事にするのもどうかと思います。
明治33年、第7師団の移駐が開始。
明治40年、石狩川と牛朱別川に囲まれたこの場所に、中島遊廓が新設される。
もともと旭川には明治20年代から曙遊廓が存在しましたが、1番のお客さまたる軍隊駐屯地からは距離があり、兵隊の帰隊遅延が頻発していました(男ってやつは‥)。
公式な記録等は残っていませんが、市議会と軍部の話し合いにより、第7師団にほど近い川の中洲(前述)に遊廓が建設されました。
近辺に学校(今の東高)等があった関係で市民から反対運動が起こりましたが、力づくで誘致が勧められたようです。
当時、軍部が持っていた権力と発言権。旭川の町の成り立ち。また、時代背景等を考え合わせると、さもありなん。
楕円形の特徴的な建物は、大門の脇に建てられた交番。昭和初期の建物です。
現在、遊廓の入り口だったあたりは市立の総合病院が建ち、楼が立ち並んでいたあたりは住宅街となっています。
道路に囲まれたこの一画だけが小さな公園となっており、交番跡は管理施設として残されたようです。おそらく、大っぴらに残す事がためらわれたのでしょう。
さらに周辺を細かく探すと、わずかに当時の建物を目にする事ができますが、時代の流れと共に静かに消え去るのみです。