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    旭川市 曙神社(曙遊郭跡)

    旭川市曙町。忠別川の河川敷、旭川駅からほど近い場所に、赤い小さな社がぽつんと佇んでいます。

    ここは明治の北海道開拓期、旭川の地に最初に倭人が住み着いた場所とされています。始まりの地なので曙町。

    北海道第二の都市旭川。この街の成り立ちは、明確に軍事都市であって、それ以下でも以上でもありません。

    明治20年代。富国強兵を指標する大日本帝国政府により、極寒の地、北海道に軍隊を駐屯させる案が検討されます。

    当時、脅威であったロシアと戦うための軍隊を育成させようという訳です。

    第二代北海道長官、永山武四郎により旭川の地が決定され、明治20年代、見渡す限りの原野に練兵場の建設が開始されます。

    これが現代まで続く、帝国陸軍第七師団の始まり、そして、旭川という街の始まりです。
    ※現在は、陸上自衛隊第二師団。

    前おきが大変長くなり申し訳ないのですが、ここからが今回の本題です。

    前段のとおり、駐屯地建設にあたり、未開の原野に大量の工事人夫が住み着く事となったわけですが、それを当て込んで、酒店、雑貨屋、食料品等の店も出来、自然発生的に町が形成されます。

    人員構成的にむくつけき男共が中心な訳で、そうなると必然的に「ある需要」が生まれるわけです。

    この小さな社が位置する地に、明治30年代に遊郭がありました。その名も曙遊郭。

    明治40年代、現在の花咲・春光に第7師団の駐屯が始まると、師団の近辺、現在の金星町に遊郭が移って行き(中島遊廓)曙の遊郭は自然と消えて行ったようです。

    現在、この地は住宅街となり、当時の面影は全く残っていません。

    ただ、この小さな稲荷神社が当時を静かに伝えるのみです。



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