
山田うどん
武蔵国の川越出身でございます。
大和国がとても美しく、奈良の都へ憧れて…
「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな」
「みかのはらわきて流るる泉河 いつみきとてか恋しかるらむ」
現在は山城国と大和国の国境付近に在住しております。




北九州から本州に渡り、黄色いガードレールの国に別れを告げて備後国「鞆の浦」に到着しました。
黄色いガードレールは、実は山口県の特産の「夏みかん🍊色」なんです。
国道二号線は広島市内が混雑し、ヘロヘロでございます。
ツーリングの時には渋滞する大都市圏はできるだけ迂回したいですよネ。
吾妹子が見し 鞆の浦のむろの木は
常世にあれど 見し人そなき
【現代語訳】
私の妻が見た鞆の浦のむろの木は永遠にあるけれど一緒に見た妻はもういない
この句は令和の語源となった大伴旅人が九州の太宰府から奈良の都へ帰還の途中、鞆の浦で亡き妻の思い出を詠んだ句です。
筆者の山田うどんも、大伴旅人と同じように九州から奈良(木の津)へ戻る途中になので、しみじみと共感。
【令和の語源】
新元号「令和」は奈良時代の大宰府の長官の大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれました。
<原文>
初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
<書き下し文>
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す
<現代語訳>
新春の好き月、空気は美しく風は柔らかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如き香りを漂わせている