急きょ、開発者として派遣されることになったが、ヨーロッパへ訪れたことがなかったし、ブリヂストンもヨーロッパでの2輪レース活動はなく拠点探しからはじまった。
そのときドイツの現地法人が助けてくれた。ふたりのドイツ人スタッフがフィアットの1BOXバンでタイヤと機材を運び、日本からは山田さん、本社の課長が向かい、4人が急造スタッフとなり転戦した。翌年からは2トン半のトラックと牽引式キャンピングカーに変わったが、日本人スタッフは山田さんのみに!
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