荒川さんが渡仏したのは'89年。以前、語学研修で訪れたことのあるパリの地を再び踏んだ。
「初めてのパリで何か強く感じるものがあって、帰ってきたなぁという思いでした。実家が縫製工場を営んでいたこともあって、洋服そのものが好きでしたしね。自然の流れに乗ったような気もしました」
'92年にパリの服飾専門学校の名門、スタジオベルソーを卒業した彼は、'93年10月に初めて「SHINICHIRO ARAKAWA」として、'94 S/Sコレクションをパリで発表する。同時にセレクトショップを中心に本格的な活動がスタートした。渡仏から4年目、ひとりの若手日本人デザイナーが世界への階段を上り始めたのだ。
その後はパリを拠点にさまざまなスタイルのコレクションの発表を続け、'95年に東京・下北沢に凱旋。これを機に日本での幅広い活動を始めることになる。
'97年にはホンダとのコラボレーションを発表。この大胆かつ斬新な作品はじつに衝撃的で、多方面から大きな注目を集めることになった。
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