つねにトライ&エラーの連続で難題に突き進んだ。その後間もなく吉村さんはHRCの総監督という重責を任せられる。88年のことだ。
「ワイン・ガードナー選手と鈴鹿8耐のときに初めて会いました。彼のプロ魂に、『世界一の人』と向き合う心構えを教わりましたね。妥協したり、考え抜かずに作った物は世界一の人に失礼だ、というプレッシャーがあった。でも最初の3年間、グランプリの成績はどん底。そのなかでNSR500のエンジン特性をピーキーなものから、扱いやすい特性へとシフトすることで、ラップタイムが上がったんです。ピーキーなマシンに乗ってきたライダーには、レスポンスが鈍い、パワー感がないと酷評されましたが、ラップタイムがいい。方向性に間違いはなかったんです。世界一の人だって乗りやすいほうが速く走れる。そのために幅広い技術的トライをしました。たとえばAというプランを試したら、それとは対極的なBというプランも試す。そうやってベストを探っていったんです」
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