吉村家に生まれ育ち、家業の手伝いからこの道に入った。チューニングをするオヤジさんやメカニックの横で、パーツ洗浄や部品取り外しといった作業を手伝っていた小学生の不二雄少年が、この道でやっていこうと決心しはじめたのは、高校生のころだったという。
「決心なんてものはないですよ。当然の流れのように、オレもこの道でやっていくんだろうな、って思ってた。福岡から東京へ出てきて、最初は福生でやっていたんだけれど、26歳のとき、アメリカに渡ったんです」
1970年代になると、アメリカレース界でも知られるようになったヨシムラ。71年には世界初のバイク用集合マフラーを発明し、73年にはアメリカにヨシムラレーシングを設立。78年からは、4年連続でデイトナスーパーバイクを制すなど、4ストロークチューニングといえばヨシムラ、の名声はアメリカだけではなく、世界中に広がり始めていた。
日本のレースでいえば、78年の第1回鈴鹿8耐で優勝し、80年代に盛り上がり始めた全日本選手権へもエントリーを開始。スズキGSXーR750が発売された85年以降は、まぎれもなく日本のトップチームに君臨していた。
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