開拓農家の長男として生まれた富田忠雄さんが、ラベンダーに出会ったのは21歳のとき。以来その魅力の虜となり栽培を続けてきた。だが順風満帆だったわけではない。香水の原料にもなるラベンダーの栽培を官民あげて奨励したのは昭和40年ごろ。富良野一帯は約230ヘクタールものラベンダー畑が広がった。ところが、安価な合成香料の普及とともにラベンダー需要は急速に落ち込み、昭和48年には富田さんの畑だけになってしまう。このとき富田さんも、野菜などの作物への転換を真剣に考えた。しかし、愛してやまないラベンダーをなくすことはできなかった。石にかじりつく思いで栽培を続けたのである。
1
2
3
4
5
6
7
礪
インタビューTOPへ
量
TOPへ
(C)PROTO