「ミニバイクからロードレースに上がったときはケガばかりでした。ケガが治りかけたらまた転倒。それを繰り返し、満足なレースができませんでした。ひょっとしたら、このまま終わってしまうじゃないかとも思いました。周囲は『まだ若いから』と言ってくれるのですが、ボクのなかでは余裕がなくなり焦ってばかりで。でも『目標は世界グランプリ』と決めてGP125ccクラスにステップアップしました。それからは比較的調子よく走れるようになりましたよ」
大きな迷路に踏み込んでしまった高橋は自らを世界グランプリに駆り立てた。中学生だった彼が自らの戦いの舞台を世界に求めた瞬間でもあった。しかも、その実現が容易でないことを彼はよく知っていた。
高校進学も機械の知識の必要性から工業高校の機械科を選んだ。しかし高橋が通った埼玉県立三郷工業高校は埼玉県内の他の高校と同様にバイク免許の取得も禁止されていた。
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