幼いころからバイクレースで活躍、バイクとともに人生を重ねてきた芳賀氏
そんなある日、前途洋々のレーサーに突然の悪夢がふりかかる
レース中の転倒による脊髄損傷という信じられない出来事
それでも自分を育ててくれたバイクの世界に夢を抱き続けている |
| オリジナルカスタムが施されたヤマハT-MAXベースのトライクは芳賀さんの愛車だ。03年以降はこのトライクで鈴鹿8耐のパレードにも参加している。 |
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芳賀さんがバイクと接するようになったキッカケは、小学生の時に弟の紀行氏といっしょに始めたポケバイだった。「一時期バイクとは離れましたが、ヤマハYSRでのミニバイクレースで再びレースを始めたんです。周りにはポケバイのころからいっしょにやってきた青木三兄弟や松戸直樹ら、仲間でありライバルもたくさんいて楽しかったですね」。中学2年生の時にはスカウトされたチームデイトナから参戦。その流れもあって89年に免許を取得後、同チームからロードレースに転向したのだった。「小中学生の時は自分がレースの世界で生きるとはまったく考えていなかったですね。両親や祖父母がレースを好きだったという家庭環境が大きかったんです。それからの自分の人生は、家族の支えがあったからこそだと感謝しています」。
こうしてレースの世界へと飛び込んだ芳賀さんは、91年には関東選手権SP250クラスとNB250クラスのダブルエントリーを果たす。前者ではTZR250Rを駆りランキング2位、後者ではTZ250でクラスチャンピオンに輝いている。この走りを認められて翌年の92年には国内B級からいきなり国際A級に特別昇格を果たしたのだ。同年はチームデイトナから全日本GP250クラスに参戦し、年間ランキング14位に食い込んだ。その活躍により翌93年にはヤマハレーシングチーム、96年以降はチーム・マールボロヤマハから全日本GP250クラスへの参戦となった。「その後の年間ランキングは23位、9位、6位、3位、2位と、右肩上がりの成績でした。これなら来シーズンはチャンピオンも狙えるなーと思っていたところで、全日本選手権スーパーバイクに変わってくれないかとの話が来たんです」。
その98年10月、ランキング6位で迎えた最終戦で芳賀さんを悪夢が襲う。芳賀さんはスポーツランドSUGOでのレースウィーク中に転倒、脊髄損傷の大ケガに見舞われてしまったのだ。集中治療室に二週間入り、生死を彷徨うほどの重症だった。だが翌年5月には退院し、ケガと戦いながらもヤマハレーシングチームのアドバイザーとして全日本ロードレース選手権にも参戦。01年にはモータースポーツとの普及と社会貢献を目指して「Haga-Bros」を立ち上げたりもした。また05年にはバイクの楽しさをみんなに知ってもらいたいと「K-MAX」をオープンした。弟の紀行選手とともに兄弟そろっての世界チャンピオンという夢は途絶えてしまったかもしれない。だが、紀行選手を支えつつ、バイクファンの底上げやモータースポーツファンの獲得に夢を抱く……。芳賀さんの志はこれからも途絶えることはない。 |
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住所/愛知県名古屋市熱田区一番2-44-6
TEL/052-652-3456
営業時間/10:00〜19:00
定休日/水曜日、レース開催日
問い合わせ/info@kmax-inc.jp
ホームページ/http://www.kmax-inc.jp
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| バイク好きの人を増やしたいと、05年11月に小さなガレージで「K-MAX」をオープン。07年5月には規模拡大も兼ねて現住所に移転している。エンジンのオーバーホールやマフラーの製作といったチューニングはもちろん、カスタムペイントなどのドレスアップにも幅広く対応。隣りには本格設備の整ったファクトリーも併設される。またトライクの正規代理店でもあるのだ。中央には逆輸入車のヤマハMTー01も飾られていたショールーム。弟である芳賀紀行選手のレプリカヘルメットも並んでいる。 |
| 鈴鹿8耐に向けてアドバイザー活動を行なう芳賀さん。将来を嘱望された選手のアドバイスは、後輩にとっても掛け替えのない財産なのである。 |
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芳賀 健輔
73年、愛知県名古屋市生まれの元国際A級ライダー。98年全日本選手権スーパーバイク参戦中(チーム・マールボロヤマハ)、マシントラブルにより転倒。脊髄損傷の大ケガを負ってしまう。その後も全日本選手権にアドバイザーとして参戦する他、モーターサイクルプロショップ「ケィマックス」の代表取締役も務める。 |
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