東京、京橋にあるブリヂストン本社に勤める山田 宏さんは
スーツにネクタイという姿で一見すると平均的なサラリーマンという印象しかない
しかし91年から現在まで世界GPにおけるブリヂストンのレース活動で現場に最初からいる
唯一の日本人スタッフだ。しかし参戦するきっかけは突然の出来事からだった |
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「91年の(世界GP)開幕戦、鈴鹿でスポット参戦した上田 昇選手が125ccクラスで初優勝したんですが、ブリヂストンを装着していたんです。そうしたら彼のチーム監督に、世界GPへ行くぞ! と突然言われて」と経緯を語ってくれた山田さん。現在の仕事は世界GPでのレース活動をマネージメントすることだが、最初は偶然からだった。
急きょ、開発者として派遣されることになったが、ヨーロッパへ訪れたことがなかったし、ブリヂストンもヨーロッパでの2輪レース活動はなく拠点探しからはじまった。
そのときドイツの現地法人が助けてくれた。ふたりのドイツ人スタッフがフィアットの1BOXバンでタイヤと機材を運び、日本からは山田さん、本社の課長が向かい、4人が急造スタッフとなり転戦した。翌年からは2トン半のトラックと牽引式キャンピングカーに変わったが、日本人スタッフは山田さんのみに!
「装着してるライダーが5人くらいだったので、ひとりでマネージメントもこなすことになり、現在の部署に移動したんです。でも開発者としての仕事も並行でしたね。95年から開発者をひとり、現地に派遣してくれましたが、チャンピオンは獲れませんでした。ほかとくらべると規模も小さかったので、当時は竹ヤリで戦争しているようでしたね」
そして、00年に転機が訪れる、最高峰500ccクラス(現MotoGPクラス)への参戦が決定し、「勝つ」ための体制強化が始まった。
するとミシュランと、モノ、ヒト、カネをかけた技術競争となり、コストが高騰。それを規制するため07年から1レースでのタイヤの使用本数が制限を設けられ、公式練習前日に事前登録することになった。つまり適したタイヤを走行前に予想することが重要となったのだ。そこで開発部を、予想シミュレーションが発達しているF1部門と統合して精度を向上させた。今年の抱負を聞くと、日本GPでの4年連続優勝を公約してくれた。取材翌日には17年目となる世界GPへと出発していった。 |
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91年にブリヂストンがはじめて世界GPに参戦したときから現在に至るまでのすべてを現場で担当してきた。今年も世界GPの全レースの現場に赴く予定。 |
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06年の日本GPでの山田さん。この日はブリヂストンを装着するドゥカティのロリス・カピロッシが優勝し、ブリヂストンの日本GP優勝、3年連続が達成された。 |
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06年トルコGP。中央が山田さんで、右はドゥカティのチーム監督、リビオ・スッポさん。06年はドゥカティが4勝し、ライダーもランキング3位になった |
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ヨーロッパで行われるレースでは、トレーラー数台がドイツの拠点から機材を運び込む。スタッフは日独で17人。大所帯をまとめることが山田さんの仕事。 |
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07年の開幕戦はドゥカティのストーナー選手が優勝。今年は勢力を拡大しユーザーは6人から10人に増加。対してミシュラン7人、ダンロップはふたりだ。 |
山田 宏
80年に入社。東京、小平にある技術センターで、タイヤの性能を評価する試験部に配属される。90年に2輪ロードレース部門が強化されたときに異動し、全日本選手権の開発者となる。91年は開発者として世界GPに派遣される。92年より本社へ異動し、世界GPのレース活動を担当。現在はMCスポーツ推進ユニットリーダーとしてMotoGP活動をマネージメントする。 |
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| 文:小林祐史 写真:平野輝之、星野和宏(インタニヤ)、小林祐史 |
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