吉村平次郎さんは「ホンダで二輪の仕事がしたい」と入社
以来、40有余年、ホンダファンならずとも必ず知っているモデルの開発にたずさわり
モトGPマシンRC211Vの開発の陣頭指揮をとったことでもおなじみの人だ
バイク造りのプロのこれまでをうかがった |
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昨年行われた東京モーターショーのホンダブースを華やかにしたE4-01。ホンダが世に問うATスポーツのコンセプトバイクだった。
今回、フェイスに登場願った吉村平次郎さんが話しだすE4-01の目標、到達点に耳を傾けると、底知れぬ魅力に引き込まれはじめる。
「ボクがコレ(E4-01)に乗って大好きなゴルフをしにいきたい。高級車に乗っていばっている人を驚かせたいね。もちろん、ワインディングでもCBRといっしょに走れて、大切な人を乗せたときにはエレガントにも走れる。ボクたちの年齢だと、CBRに乗って峠道だけで快感を得るのではもの足りない。かといって、走る楽しさを知っているだけにアメリカンに落ち着くのもなじまない。いつでもどこでもよくないと。スポーツ性とエレガントさが欲しいんです。既存のギアシフトモデルと同等以上でエレガント。「欲しい物」をすべて盛り込み、どうかたちにするか。だからフレームもエンジンもATも高い目標をもって開発しています」
E4-01の発表から8カ月。定年退職(その言葉がそぐわないほど吉村さんは若々しい)を迎え、エンジニアとしての第一線を去る吉村さんに、たずさわったバイクについて聞いた。
「その後もE4-01の開発を進めています。ただ、だれもやってこなかったジャンルだけに難しい。オートバイはミッション付きが当たり前、スポーツバイクにATはそぐわない、そんな通念があります。でもそれは機械的にミッションを越えていないからだと考えています。シフトチェンジが煩わしいと思えるほどのATがない。それを今開発しています。楽しいことを優先し、我慢する時間を取り除く。そこをバックアップするハードの質、機能とも時間をかけて煮詰める必要があるんです」
楽しみだ。そんな吉村さんがホンダ入社後、最初に手がけたのが2サイクルモトクロッサー、エルシノアだった。「前例がなく、苦労しました。その後CBX1000の開発にもたずさわりました。6気筒という形態はグランプリマシン、RC165、166で使われた既存技術でしたが、100馬力240kgという、750以上のインパクトを持ったフラッグシップであるCBXと、250cc6気筒というグランプリマシン、という性格がまったく異なるため、共通項がなかったんです。とくに走行安定性をまとめあげるのが大変でした。いわゆるハンドリングなど、今は定量的なデータがありますが、当時はまったく手探りでしたから」
吉村さんは並列4気筒の次世代モデル、VFシリーズの開発をも担当。「ここでも苦労しました。前輪荷重を増やそうとすると、V型シリンダーが前輪と干渉する。かといって分担荷重を考えるとエンジンを後ろに下げたくない。そこで16インチフロントタイヤという小径化をしたんです」
つねにトライ&エラーの連続で難題に突き進んだ。その後間もなく吉村さんはHRCの総監督という重責を任せられる。88年のことだ。
「ワイン・ガードナー選手と鈴鹿8耐のときに初めて会いました。彼のプロ魂に、『世界一の人』と向き合う心構えを教わりましたね。妥協したり、考え抜かずに作った物は世界一の人に失礼だ、というプレッシャーがあった。でも最初の3年間、グランプリの成績はどん底。そのなかでNSR500のエンジン特性をピーキーなものから、扱いやすい特性へとシフトすることで、ラップタイムが上がったんです。ピーキーなマシンに乗ってきたライダーには、レスポンスが鈍い、パワー感がないと酷評されましたが、ラップタイムがいい。方向性に間違いはなかったんです。世界一の人だって乗りやすいほうが速く走れる。そのために幅広い技術的トライをしました。たとえばAというプランを試したら、それとは対極的なBというプランも試す。そうやってベストを探っていったんです」
福島の造り酒屋の三男として育った吉村さんは、叔父が乗り付けるカブでバイクを知り、高校時代にCL72でバイクの世界に心酔した。ホンダで数々の新機軸に挑み、RC211Vの開発時も「デビューウインする」という高い士気で望んだという。熱いバイク人。彼の40年はよき模範となるはずだ。その背中は「どんどん挑み、突き詰めろ」と、これからのバイク人たちに無言のエールを送っている。 |
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HRC時代、マシンテストで何度も訪れたオーストラリアのグランプリコース・フィリップアイランドで、吉村さんにプロ魂を見せたワイン・ガードナーと再会する。 |
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5気筒エンジンのシリンダー挟み角を含めデビューウインを運命づけられたRC211Vは、見事にその大役を果たした。現在も熟成され、ランキングトップを走る。 |
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祖父と同じ平次郎という名は、ヘイちゃんと親しみをもって呼ばれた。最初の愛車CL72との巡り会いが、のちに鬼平と呼ばれ、仕事に厳しいバイク人たる原点となった。 |
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オートマチックスーパースポーツ。課題山積というコンセプトは、吉村さんがそうだったように前人未踏の手探り開発を後輩に託すことに。これも鬼平の財産分与とも思えるのだ。 |
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| 42年のホンダ人生のうち、39年半を二輪開発に捧げてきたエンジニア。エルシノア、CBX1000、VFシリーズ、そしてRC211Vなど、つねに当時の先端技術に取り組み、トライ&エラーを繰り返してホンダの技術力の礎を築いてきた。今年定年退職を迎えた。 |
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