これまで、じつに多くのタイトルを獲得し
つねに2輪レース界の話題をさらってきた井筒仁康だが
先シーズンを最後に慣れ親しんだバイクの世界に別れを告げた
しかし、彼に悲愴感はうかがえない……
それどころか、新たな未来への意気込みを見せた |
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鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝、全日本ロードレース選手権JSB1000クラス・シリーズチャンピオン獲得。
この戦績を見るかぎり、2004年の井筒選手はまさに絶頂期にあった。しかし彼は、このシーズンをもって二輪レース界から引退する。
「まだまだやれるのに……」の声は多い。実際、井筒の実力からすれば、少なくとも数年はトップに君臨できるはずだ。だが、14年のレース生活に自らピリオドを打った。以下は彼の談話である。
「昨年(03年)あたりから引退の気持ちはありました。ただ、8耐優勝という目標を達成できていなかった。それが今シーズンを戦う決意につながった。そしてついに、その目標を成し遂げることができ、加えて、全日本のタイトルも獲ることができた。この世界でボクがやるべきことは、すべてやったと思っています」
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「二輪レースの世界に入ってからは、がむしゃらに上を目指してやってきました。つねに目標があったので、それに向かって一段ずつ階段を上ってきたという感じです。全日本チャンピオンになること、そして8耐優勝がボクにとっての目標でした。たしかにその先にはモトGP参戦、さらには世界チャンピオンという大きな目標もあります。しかし現実には、自分ひとりではどうしようもできないこともあります」
プロのレーシングライダーを目指してこの世界に井筒が飛び込んだのは19歳のとき。ポケバイやミニバイクからステップアップしてくる若い選手が多いなか、けっして早いスタートではない。だからこそ井筒は、必死にレースに取り組んだ。
そして目の前にあるハードルをひとつひとつ越えてきたのである。いずれは世界GP(モトGP)でタイトルを獲得すること。それが最終的な目標だったはずだ。しかし、全日本チャンピオンになった井筒の前に、モトGPの門戸が開かれることはなかった。
「でも後悔はないですよ。つねに勝つことへの執着心は途切れなかったし。ただね、そういう気持ちだけでは勝てないのがモータースポーツですよね。ハード(マシン)の良否も大きなウエイトを占める。ボクはこうしてホンダでレース生活を終えることができて幸せだと思っています。ちゃんと勝てるマシンを作り上げてくれましたから。2年間テストライダーを兼務して、ボクも妥協しなかった。そしてエンジニアの人たちも要求にこたえてくれる。資金面だけでなく、ホンダにはそれだけの力があるんですよ。
レースを始めたときから『いずれはホンダで走りたい』という願望はあった。その夢がかなったわけですから。そればかりか、引退会見の場まで設けてくれた。世界のホンダだからこそできることですよね」
今後は、同じスポーツでもゴルフの世界へと突き進もうとしている。そう、プロゴルファーの道へと井筒は歩き始める。自身では「新しい世界へのチャレンジ」と至って自然体だが、33歳という年齢から考えても、相当な勇気が必要だったのではないだろうか。
「冷静に考えればボクも無謀だと思いますよ。今まで二輪レースをしてきて、今度はこちらも厳しいゴルフの世界へ挑戦するなんて、客観的にいったら『何をやってる』ってことになる。でも、今まで好きなようにやってきたから、あと10年くらい好きにやってもいいかなと。それに野球選手になろうというわけじゃない。少しでも可能性があるからチャレンジするんですよ。レースで培った集中力も生かせると思いますから」
プラス思考が強く、そして努力家の井筒選手ならば、新たな世界でもきっと活躍してくれるに違いない。 |
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2004年鈴鹿8時間耐久ロードレースで優勝を果たしたときに井筒・宇川が駆っていたマシン。CBR1000RRのワークス・スーパーバイク仕様となっている |
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HONDA・CBR1000RRのデビュー戦となる2004年全日本ロードレース選手権シリーズ・JSB1000クラスでもシリーズチャンピオンを獲得。圧倒的な強さを見せた |
1971年3月20日、大阪出身。ロードレースデビューは1990年。93年に国際A級に昇格し、以後TT−F1、スーパーバイクと全日本選手権で活躍。カワサキワークス時代の2000年に全日本選手権スーパーバイククラスでチャンピオン獲得。翌01年から02年にはスーパーバイク世界選手権へ参戦し、ランキング14位。03年にホンダへ移籍、全日本選手権JSB1000でランキング4位。そして04年、JSB1000でチャンピオン獲得と同時に、鈴鹿8耐でも優勝する。甘いマスクで女性ファンも多い。 |
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