- KAWASAKI
NINJA250R (2008) - 日本では幅広い層に対応し、北米などでは学生向け、アジア圏ではハイエンドと、販売国により様々な立ち位置になる世界戦略車として開発され、タイで生産。
- HONDA
TODAY(2002) - ホンダの中国生産国内仕様車の第一弾として、02年8月に発売開始。研究開発は日本で行い、アジア各国で部品を調達。日本人従業員が工場管理を徹底し、品質向上を追求。
- SUZUKI
ADRRESS V125(2006) - 05年2月に発売が開始されたアドレスV125シリーズは、設計はそのまま引き継ぎながら、愛知県豊川工場から台湾へと06年3月に生産を移管。
アジア各国での
生産化が進む国内メーカー
最高潮に達した80年代初期には300万台以上もあった二輪車の国内販売台数は、00年には約78万台にまで減少。さらに09年には、約38万台にまで落ち込んでしまった。しかしこの10年間で、それ以上に減少率が大きいのは国内生産台数。00年の約242万台が、09年には1/4近くになった。
とはいえこれは、世界規模でバイクの需要が減ったということではない。むしろその逆で、新興国の発展により世界での二輪需要は伸びた。一例としてホンダの全世界販売台数を調べてみると、この10年間で約73%も増えたことになる。つまり、国内生産台数が減少したのは、海外工場へと二輪車の生産がシフトされたことが理由というわけだ。
とくに、国内4メーカーがこの00年代に力を注いだのが、生産コストを低めに抑えられる、ASEAN諸国における生産。タイや台湾、中国などに設備と技術を順次導入して、生産の枠を拡大していった。
そしてこれらのアジア各国生産車は、国内正規ラインアップにも並べられた。例えばホンダは、中国で生産した原付一種スクーターのトゥデイを、02年8月に日本で新発売。これに続いてヤマハが03年に、原付一種スクーターのジョグシリーズを台湾生産とし、同じく台湾で生産する原付二種スクーターのシグナスXを導入。この頃はまだ、国内生産にこだわりの姿勢を見せていたスズキも、04年10月に発売した原付一種スクーターのレッツ4では、エンジンの生産を中国に。そして06年3月には、新登場から1年が経過したアドレスV125シリーズの生産を、日本から台湾へと移管した。
一方で、原付より上のクラスでも国内仕様車を海外生産化することに積極的だったのがカワサキ。03年にはタイ生産のKSR110を導入していたが、08年にはニンジャ250R、KLX250、D-トラッカーXと、軽二輪クラスのタイ生産国内仕様車を発売開始した。
中古車の購入時には1年の差にも注意を!
こうやって振り返ってみると、日本のバイク史における00年代というのは、取り巻く環境が大きく変化し、新しい技術が次々と導入されていった時代であることがわかる。とくにバイク本体の仕様変更に関わる部分で考えれば、排ガス規制への対応と、それにともなう燃料供給のインジェクション化、新たな電子制御技術の導入などが重要項目だろう。
それだけに、00年代の中古車を購入する場合には、「1年の差」にも注意して、自分好みのバイクを探すことが大切。たった1年の年式違いで、排ガス規制の関係から出力やエンジン特性が大きく違ったり、燃料供給方式が異なったり、あるいは魅力的な電子制御技術が採用されていなかったりすることもあるからだ。
ちなみに排ガス規制は現在のところ、古い規制しかクリアしていないからといって、使用が制限されることはない。地球環境のことを考えて少しでも高年式の中古車を選ぶか、走行性能に優れることが多い規制前を選択するかは、ユーザーそれぞれの判断によるところだ。また燃料供給に関しては、各機種の仕様にもよるので、キャブレターとインジェクションのどちらが優れていると簡単に断言することはできない。
00年代の中古車は、新車の国内販売台数が大幅に減少したことで、流通量が少ない機種もかなりある。「これだ!」と思える00年代をグーバイクで探して、見つけたらお早めに決断を!?